ベルヴェデーレ宮殿 Belvedere
ウィーン南東部に建つバロックの離宮。オスマン軍を破った名将オイゲン公の夏の居館として、ヨハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラントが下宮・上宮の二館とフランス式庭園を一体に設計した。
§1 — 概要概要
ベルヴェデーレ宮殿(Belvedere)は、ウィーン南東部のラントシュトラーセ地区に建つバロック様式の宮殿群である。緩やかな斜面を挟んで下宮(Unteres Belvedere)と上宮(Oberes Belvedere)の二つの宮殿が向かい合い、その間を三段のテラスからなるフランス式庭園が結ぶ。オスマン帝国軍を破った名将オイゲン・フォン・ザヴォイエン公(プリンツ・オイゲン)の夏の居館として、ハプスブルク宮廷を代表する建築家ヨハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラントが設計した。オーストリア・バロックの頂点に数えられる。
歴史
施主オイゲン公は、対オスマン戦やスペイン継承戦争での武功によって帝国随一の富者となり、その威光を建築と庭園に託した。下宮は1712年ごろ着工し、公の私的な居館として1716年までに整えられた。続いて1717年から、斜面の頂に立つ儀礼用の宮殿として上宮が建設され、1723年に完成した。庭園はヴェルサイユでル・ノートルに学んだドミニク・ジラールが手がけた。オイゲン公の死後、1752年に女帝マリア・テレジアが買い上げ、1781年には上宮で帝室絵画館が一般公開された。世界最初期の公開美術館の一つである。第二次世界大戦の空襲で大理石の間などが被災したが修復され、1955年にはこの広間でオーストリア国家条約が調印された。
建築的特徴
上宮は三層の堂々たる構えで、銅板葺きの屋根に並ぶドームと隅亭が、市街から望むと小さなバロックの稜線をなす。中央には二層吹き抜けの大理石の間(マルモアザール)が据えられ、ガエターノ・ファンティによるクアドラトゥーラ(遠近法的なだまし絵装飾)と、カルロ・インノチェンツォ・カルローネの天井画がオイゲン公の栄光を寓意的に描く。対する下宮は単層の水平的なファサードをもつ、より親密な居館で、両館は対の関係にありながら役割に応じて意図的に造り分けられている。庭園は左右対称のパルテール、水盤、階段状のカスケードを軸線上に配し、建築と地形と植栽を一体の劇場として構成する。
意義・現在
ベルヴェデーレは、イタリア・バロックの修練を積んだヒルデブラントが、軽やかさと劇性を備えた独自のオーストリア・バロックへ到達した代表作である。現在は国立の美術館として、グスタフ・クリムトの《接吻》をはじめ中世から現代に至るオーストリア美術を収蔵する。2001年に「ウィーン歴史地区」の一部としてユネスコ世界遺産に登録された。