ベルヴェデル宮殿 Belweder
ワルシャワ、ワジェンキ公園のほとりに建つ新古典主義の宮殿。1660年以来の離宮を、1818〜1822年にヤコブ・クビキが現在の姿に造り替えた。1830年の11月蜂起の発端の地であり、のちにピウスツキの公邸となった、ポーランドの公邸の一つである。
§1 — 概要概要
ワルシャワ市街の南、ワジェンキ公園(王の浴場公園)のほとりに建つ新古典主義の宮殿である。その名は「美しい眺め」を意味するイタリア語のベルヴェデーレに由来する。19世紀初頭にヤコブ・クビキの手で今日の姿に整えられ、ポーランドの歴史の節目を見つめてきた。現在は大統領の公邸の一つとして、儀礼や国賓のもてなしに用いられている。
歴史
この地には1660年以来、いくつもの離宮が建っては替わってきた。18世紀には、最後の国王スタニスワフ・アウグストのもとで陶磁器(ファイアンス)の工房が置かれたこともある。
1818年、この館はロシア皇帝アレクサンドル1世のものとなり、コングレス・ポーランドの実質的な総督であった大公コンスタンチンの住まいに定められた。これにあわせ、1818年から1822年にかけて、建築家ヤコブ・クビキが新古典主義の宮殿へと造り替えた。
1830年11月29日、独立を求める将校や学生たちが、この大公の館を襲ったことから「11月蜂起」が始まった。コンスタンチンはからくも逃れたという。第二共和国の時代には、元帥ユゼフ・ピウスツキの公邸となり、彼はここで1935年に没した。第二次世界大戦の戦火のなかでも、ワルシャワにあって破壊を免れた数少ない建物の一つである。
建築的特徴
クビキの設計は、列柱のポルティコを正面に据えた、低く横に長い端正な構えをもつ。三角形の破風と整然とした立面が、新古典主義らしい均整と落ち着きをたたえる。華美を退け、比例の美に重きを置いたその姿は、ポーランド古典主義の代表的な達成とされる。
意義・現在
ベルヴェデル宮殿は、建築の質においてのみならず、近代ポーランドの歩みを映す場として大きな意味をもつ。独立をめぐる蜂起の起点となり、再興した国家の元首の座となったこの宮殿は、ポーランドの「国のかたち」と分かちがたく結びついている。現在は市街中心の大統領官邸に主役を譲りつつも、公邸の一つとして静かにその役割を果たし続けている。
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