ザクセン公ハインリヒ獅子公が1173年に創建したロマネスクの参事会聖堂。獅子公夫妻や神聖ローマ皇帝オットー4世の墓所であり、12世紀のインメルヴァルト十字架を伝える。現在はルター派の教会。
§1 — 概要概要
ブラウンシュヴァイク大聖堂(Braunschweiger Dom、正式には聖ブラジウス・聖ヨハネ参事会聖堂)は、ドイツ・ニーダーザクセン州ブラウンシュヴァイクに建つロマネスク様式の教会。ザクセン公にしてバイエルン公でもあったハインリヒ獅子公が創建し、公とその一族の墓所となった。ドイツ語で大聖堂を意味する「Dom」を冠するが、司教座聖堂ではなく、もとは聖堂参事会の教会(参事会聖堂)である。現在はブラウンシュヴァイクのルター派教会が所有・使用している。
歴史
1173年、ハインリヒ獅子公が自らの居城に隣接して参事会聖堂の建設を始めた。工事は獅子公の度重なる亡命によって中断し、1195年に没した公と妃マティルデは未完の堂内に葬られた。聖堂は1226年に献堂されている。身廊に横たわる二人の石像墓は、没後一世代を経た1230年代の理想化された表現である。1543年の宗教改革を機に、教会はルター派の用に帰した。19世紀には建築家エルンスト・ヴィーエらによる修復が行われている。
ナチス政権下の1935年から1940年にかけ、大聖堂はハインリヒ獅子公を顕彰する「国民奉献所(Nationale Weihestätte)」へと改造された。クリューガー兄弟(ヴァルターとヨハネス)の設計により内部やクリプタが大きく改変され、彫刻家アルノ・ブレーカーらが装飾を手がけた。戦後、こうした政治的な改変の多くは撤去・原状回復され、今日の聖堂が伝わっている。なお、創建時のロマネスク聖堂の設計者は記録に残っていない。
建築的特徴
創建時のロマネスク聖堂は、厚い壁体と半円アーチを基調とする重厚な構成をもつ。堂内に伝わる美術品の価値は高く、なかでも12世紀後半のインメルヴァルト親方による木彫の磔刑像と、1170年代ごろに作られた七枝の大型青銅燭台は、中世美術の傑作として知られる。後世にはゴシックの要素も加えられ、複数の身廊が並ぶ独特の内部空間が形づくられた。
意義・現在
ブラウンシュヴァイク大聖堂は、12世紀の有力諸侯ハインリヒ獅子公の権勢を今に伝える記念碑的建築であり、獅子公夫妻のほか神聖ローマ皇帝オットー4世らの墓所でもある。かつては「ヴェルフェン家の至宝(Welfenschatz)」と呼ばれる教会財宝を蔵したが、1671年に持ち出され、現在は一部がベルリンのボーデ博物館にある。ナチス期の改変とその後の回復という近代の経験を含めて、この聖堂はブラウンシュヴァイクの歴史的記憶の中心であり続けている。