ブトイルカ収容所 Butyrka prison
モスクワに現存する古い監獄。エカチェリーナ2世の命により1771年に設けられ、建築家マトヴェイ・カザコフが四隅に塔をもつ城塞風の獄舎を設計した。プガチョフの幽閉以来、帝政期からソ連期まで多くの政治犯を収容したことで知られる。
§1 — 概要概要
ブトイルカ収容所(露: Бутырская тюрьма、Butyrka prison)は、モスクワ中心部の北寄りに位置する監獄である。18世紀のエカチェリーナ2世期に設けられた古い拘禁施設で、四隅に塔を備えた城塞風の外観をもつ。帝政期から20世紀にかけて、多くの著名な囚人を収容した施設として歴史に名を残す。
歴史
起源は1771年、エカチェリーナ2世の命により、ブトイルカ村の驃騎兵兵舎に置かれた木造の獄舎にさかのぼる。ほどなく石造の堅固な「監獄城」へと改められ、建築家マトヴェイ・カザコフの設計のもと、四隅の塔と高い煉瓦壁、中央の聖堂を備えた一郭が、おおむね1784年までに築かれた。1774〜75年には農民反乱の指導者エメリヤン・プガチョフが処刑前に幽閉され、南の塔は後に「プガチョフ塔」と呼ばれるようになった。19世紀半ばには流刑囚を集める中継監獄となり、1879年には現在見られる主獄舎が建てられた。帝政末期からソ連期にかけては多くの政治犯や知識人が収容され、その名は文学や回想を通じて広く知られている。
建築的特徴
カザコフによる18世紀の獄舎は、赤煉瓦の壁に白い石の装飾を対比させ、狭間付きの塔をめぐらせた、いわゆるロシア擬ゴシックの語法による。これは同時代のカザコフが宮殿建築でも用いた中世趣味の作風であり、防御的な城塞のイメージを監獄という用途に重ねたものである。中央には、現在も残る生神女庇護聖堂(ポクロフスキー聖堂)が置かれた。1879年の主獄舎は、これに対して収容力を優先した実用的な構成をとる。
意義・現在
ブトイルカ収容所は、ロシア連邦の文化遺産(連邦指定の文化財)として保護されており、18世紀の監獄建築が残る稀少な例である。今日も拘置施設として用いられているが、その歴史的・建築的価値から、博物館化や閉鎖をめぐる議論が繰り返されてきた。エカチェリーナ期の都市建築を担ったカザコフの、宮殿とは異なるもう一つの仕事を伝える建物である。