EST. 2026 — Editorial Archive of Notable Architecture
チャールミナール
© Gopikrishna Narla / CC BY-SA 3.0
FIG. 01 — Q1771696

インド・ハイデラバード旧市街の中心に建つ記念建造物。1591年、クトゥブ・シャーヒー朝のムハンマド・クリ・クトゥブ・シャーが新都の要として建てた。四方に大アーチを開き、四隅にミナレットを立て、屋上にモスクを載せる。

FIG. 02 — Location17.3616° N 78.4747° E
インド テランガーナ州 ハイデラバード
§1 — 概要

概要

チャールミナール(Charminar)は、インド・テランガーナ州ハイデラバードの旧市街に建つ16世紀末の記念建造物である。名はウルドゥー語で「四つのミナレット」を意味し、正方形の本体の四隅から立ち上がる4本のミナレットに由来する。ゴールコンダ王国を治めたクトゥブ・シャーヒー朝が新都の中心に据えた建物で、同朝の建築を代表する作例であると同時に、都市そのものの象徴としてテランガーナ州の州章にも描かれている。

歴史

1591年、第5代君主ムハンマド・クリ・クトゥブ・シャーは、ゴールコンダ城から新たに建設したハイデラバードへ都を移し、その中心にチャールミナールを築いた。建設の動機については、当時流行した疫病の終息を記念したとする説と、ヒジュラ暦1000年という第二千年紀の始まりを記念したとする説があり、定まっていない。完成を翌1592年とする見方もある。

新都はこの建物を中心に四つの区画へ割り付けられ、北側には東西南北に向く4基の門(チャール・カマーン)が同じ時期に築かれた。都市計画では、ペルシア出身の宰相ミール・ムーミン・アスタラーバーディーが主導的な役割を果たしたとされ、チャールミナールの設計も彼に帰されることがあるが、建物の設計者を特定する確かな史料は乏しい。

1670年には落雷でミナレットの1本が倒れ、修復された。1687年にゴールコンダ王国がムガル帝国に併合されたのちも建物は維持され、18世紀後半からハイデラバードを都としたニザームの時代、1820年頃に一部が改修された。四面の時計は1889年に加えられたものである。

建築的特徴

本体は一辺約20メートルの正方形平面で、各面の中央に大きな尖頭アーチを開く。四つのアーチはそれぞれ東西南北の街路に正対し、建物は交差点に立つ門のように都市軸の結節点を占める。四隅のミナレットはタージ・マハルのように本体から離して立てるのではなく構造体に組み込まれ、縦溝を刻んだ塔身に二段のバルコニーをめぐらせ、頂部に花弁状の装飾を伴う球根形のドームを戴く。最高部は地上約56メートルに達する。

主体は花崗岩を石灰モルタルで積んだ組積造で、石灰岩や粉砕した大理石も材料に用いられた。アーチ周りや欄干、バルコニーを覆うスタッコ装飾の密度が、外観を特徴づけている。上階へは149段の階段で上る。内部ではヴォールトが上下2層のギャラリーを支え、その上の屋上テラスを石のバルストレードが縁取る。屋上の西端、すなわちキブラの側にモスクが置かれ、主ギャラリーにも45の礼拝区画が設けられている。クトゥブ・シャーヒー朝期には、屋上の残りの部分が宮廷の場として使われたと伝えられる。

意義・現在

チャールミナールは、ペルシアの影響を受けつつデカン地方で独自に展開したクトゥブ・シャーヒー建築の頂点に位置づけられる。モスクを載せた宗教建築でありながら、都市の中心を示す標識としての性格が強く、南西に建つマッカ・マスジドや西側のラード・バザールとともに、旧市街の骨格をかたちづくってきた。

インド考古調査局が管理する国定重要記念物(Monument of National Importance)に指定され、ゴールコンダ城、クトゥブ・シャーヒー廟群とともにユネスコ世界遺産の暫定リストにも記載されている。周辺は現在も市場と交通の密集する繁華街で、2016年には一帯を歩行者空間とする計画が州政府によって打ち出された。

関連する建築

Related
データ: Wikidata (Q1771696) / 解説: Wikipedia 日本語版 · English / 画像: © Gopikrishna Narla / CC BY-SA 3.0 — Wikimedia Commons
LAST EDIT — 2026.10.06
ENTRY ID — BLD-1215