EST. 2026 — Editorial Archive of Notable Architecture
フマーユーン廟
© Anshrastogi1 / CC0
FIG. 01 — Q189648
様式 · イスラーム建築 時代 · 中世 類型 · 宗教建築 ★ 世界遺産「デリーのフマユーン廟」(1993年登録)

フマーユーン廟 Humayun's Tomb

آرامگاه همایون

デリーに建つムガル帝国第2代皇帝の墓廟。皇妃の発願でペルシア出身の建築家が設計し、四分庭園に載る二重殻ドームの霊廟という形式を確立して、後のタージ・マハルへつながった。

FIG. 02 — Location28.5933° N 77.2506° E
インド デリー首都圏 デリー
§1 — 概要

概要

インドの首都デリー、ヤムナー川の西岸に建つ、ムガル帝国第2代皇帝フマーユーンの墓廟である。インド亜大陸で最初の本格的な庭園墓廟であり、赤砂岩に白大理石を組み合わせた外観、正方形を九分割した平面、白大理石の二重殻ドームという構成は、以後のムガル廟建築の原型となった。約80年後のタージ・マハルは、この形式を大理石一色で洗練させたものといえる。

歴史

フマーユーンは1540年にシェール・ハン(後のシェール・シャー)に敗れて北インドを失い、サファヴィー朝ペルシアの支援を得て1555年に王座を回復したが、翌1556年に急逝した。造営を発願したのは、フマーユーンの皇妃でハージー・ベーグムと呼ばれた女性である。史料上、この人物をベーガ・ベーグムとする説と、アクバルの母ハミーダ・バーヌー・ベーグムとする説があり、同定は定まっていない。

着工1565年・完成1572年とする説が広く行われるが、インド考古局は1569年着工とし、ユネスコは1570年竣工と記すなど、年代には幅がある。造営費は150万ルピーに達したと伝わり、その全額を皇妃が負担した。設計はヘラート出身のペルシア人建築家ミラーク・ミールザー・ギヤースが担い、彼の没後は子のサイイド・ムハンマドが引き継いだ。

18世紀以降、ムガル朝の衰退とともに庭園は荒れ、19世紀には敷地内に人が住みついて菜園に転用された。1857年のインド大反乱では、最後の皇帝バハードゥル・シャー2世が3人の王子とともにこの廟に逃れ、英軍に捕らえられている。帝国はみずからの始祖の墓で幕を閉じた。1903年から09年にかけて英領期の修復で庭園が整えられ、1993年の世界遺産登録を機に、アガ・ハーン文化財団とインド考古局による発掘と修復が進み、2003年には水路と噴水がよみがえった。

建築的特徴

廟は一辺約95メートル、高さ約7メートルの基壇に載る。基壇の側面にはアーチを連ねた小室が並び、100を超える墓標を収める。その上に建つ霊廟本体は一辺約48メートル。四隅を削って八角形に近づけた正方形で、東西南北の四面が同じ立面をもつ。各面の中央にはイーワーン状の高いアーチが開き、脇の壁面はジャーリーの格子で埋められる。

平面はハシュト・ビヒシュト、すなわち正方形を九分割し、中央の主室を八つの室が取り巻く構成をとる。中央室に置かれた白大理石のセノターフ(模棺)は象徴的なもので、実際の遺体はその真下の地下室に納められている。中央アジアの葬制に由来する形式である。

素材は赤砂岩を主とし、白と黒の大理石、黄砂岩を組み合わせて幾何学文を描く。硬石象嵌の技法も各所に用いられた。頂部の白大理石の二重殻ドームは、外殻が高い輪郭線を、内殻が広い内部空間をつくり分けるもので、インドで最初の本格的な例にあたる。ドームの周囲にはチャトリが並び立ち、ペルシア由来のアーチとドームの構成に、柱梁を用いるインド的な要素が重ねられている。西面の格子にはミフラーブの輪郭だけが刻まれ、開口から直接光が入るようになっている。

意義・現在

フマーユーン廟は、サマルカンドのグーリ・アミールに代表される中央アジア・ティムール朝の廟建築と、インドの石造伝統が出会った地点に立つ。チャハル・バーグ(四分庭園)を敷地全体に及ぼし、その中心に廟を据える構成はインドに前例がなく、以後の皇帝廟の規範となった。この上層建築の形式はアクバル廟やジャハーンギール廟には採られず、時代を隔ててタージ・マハルで再び用いられている。

150人を超えるムガル一族が葬られたことから「ムガルの寝所」とも呼ばれる。1993年に世界遺産「デリーのフマユーン廟」に登録。周辺のイーサー・ハーン廟やニザームッディーン廟を含む一帯は、近年の整備によって歴史公園として再生し、2024年には地下式の遺産博物館も開かれた。

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LAST EDIT — 2026.08.21
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