イスラーム建築
クトゥブ・ミナール
デリー南郊メヘラウリーに立つ高さ72.5メートルの尖塔。1199年ごろクトゥブッディ…
インド・イスラーム建築は、12世紀末以降のインド亜大陸において、西アジア由来のイスラーム建築の形式と、在地のヒンドゥー教・ジャイナ教建築の技術および意匠が結び合って成立した建築の総称である。1192年のゴール朝による北インド制圧を画期とし、デリー・スルターン朝の諸王朝、各地の地方王朝、そしてムガル朝へと展開した。初期の作例では、アーチ・ドーム・ミナレットといった語彙が導入される一方、実際に石を刻んだのが在地の職人であったため、楔石を用いる真のアーチではなく持ち送りによるコーベルアーチが架けられ、破壊された寺院の柱や梁がそのまま転用されることも珍しくなかった。クトゥブ・ミナールとクワットゥル・イスラーム・モスクは、この過渡的な段階を今日に伝える。14世紀のトゥグルク朝では、内側へ傾斜する厚い壁と簡素な面が好まれ、装飾よりも量塊が前に出る。地方王朝の時代には、ベンガルの煉瓦造、グジャラートの精緻な石彫、デカンの巨大ドームなど、素材と気候に応じた変種が生まれた。16世紀以降のムガル朝に至ると、赤色砂岩と白大理石の対比、四分庭園、球根状のドーム、チャトリと呼ばれる小亭が定型となり、タージ・マハルで一つの完成をみる。イスラーム建築の一様式であると同時に、インド建築史の一段階でもあるという二重性が、この様式の性格を規定している。用いられた形式は西から来たが、それを刻んだ手はほとんど常に在地のものであった。