EST. 2026 — Editorial Archive of Notable Architecture

マムルーク建築

Mamluk architecture
年代
1250 — 1517
地域
エジプト・シリア
時代
中世

マムルーク建築は、1250年から1517年にかけてエジプトとシリアを支配したマムルーク朝のもとで展開したイスラーム建築の一様式である。マムルークとは軍事奴隷の出身で権力を握った支配層を指す。世襲によらない彼らにとって、自らの名を都市に刻む手段が建築の寄進であった。その結果、首都カイロにはモスク、マドラサ、霊廟、隊商宿、水飲み場を組み合わせた複合施設が密集して建ち並ぶことになる。ファーティマ朝・アイユーブ朝の遺産を受け継ぎながら、煉瓦より石造に傾き、既存の街路に合わせて平面を歪ませつつ、外に向けた立面だけは整然と整えるところに大きな特色がある。

意匠の面では、色の異なる石を交互に積むアブラク、鍾乳石状のムカルナスを積み上げた門のニッチ、歯型に噛み合わせた楔石、多彩な大理石を象嵌した壁面とミフラーブが繰り返し現れる。霊廟に架かる石造ドームは、初期の簡素な形から、幾何学文やアラベスクを全面に彫り出した後期の作へと段階的に洗練された。ミナレットは円形と八角形の層を積み重ね、各層をムカルナスのバルコニーで区切る独特の輪郭をもつ。内部では、中庭の四方にイーワーンを開き、スンナ派四法学派の学舎を一棟に収める形式が確立した。1356年に着工したスルタン・ハサン・モスクはその最大の実例であり、外観の垂直性の強調や外来意匠の大胆な導入においても頂点をなす。

1517年のオスマン朝による征服後、様式は地方的な系統として存続し、細部にオスマンの語彙が混じっていく。19世紀以降のエジプトでは、国家の歴史を語る形式としてマムルーク建築が再評価され、リファーイー・モスクをはじめとするネオ・マムルーク建築が試みられた。

マムルーク建築
§1

代表建築

Buildings
§2

様式の系譜

Lineage
親様式
イスラーム建築
本様式
マムルーク建築
隣接する様式