イラン中部エスファハーンの旧市街にある会衆モスク。8世紀後半の創建以来、セルジ…
アッバース朝建築(Abbasid architecture)は、750年から1258年まで続いたアッバース朝カリフ国のもとで、イラクを中心に展開したイスラーム建築である。ウマイヤ朝を倒した王朝が権力の中心をシリアからメソポタミアへ移したことで、地中海世界の古典・ビザンティンの規範に代わり、メソポタミアとペルシアの在来の建築伝統が主導権を握った。独自の様式は、王朝の最盛期にあたる8世紀後半から10世紀前半にかけて形成された。
主要な構造材は日干し煉瓦と焼成煉瓦で、安価な材料によって途方もない規模の建築群を短期間に築くことを可能にした。二心の尖頭アーチとヴォールトはこの時代に標準となり、9世紀後半には四心の尖頭アーチも現れる。装飾では、型押しや斜めに彫り込む技法による化粧漆喰(スタッコ)の文様がサーマッラーで体系化され、帝国の各地へ急速に伝わった。モスクは中庭を列柱の礼拝空間が囲む多柱式が基本であり、ミナレットが本格的な建築要素として定着したのもこの時代である。
王朝は新都の建設を重ねた。762年にカリフのマンスールが円形都市バグダードを、836年にムウタスィムがサーマッラーを築く。サーマッラーでは約40キロメートルにわたって宮殿とモスクが展開し、螺旋状のミナレット(マルウィーヤ)をもつサーマッラーの大モスクが建てられた。775年ごろのウハイディル宮殿は、現存最古のアッバース朝宮殿である。地方でもカイロのイブン・トゥールーン・モスク(877〜879年)がサーマッラーの様式を伝え、イランではダームガーンのターリーハーネや、エスファハーンのジャーメ・モスクの9世紀の多柱式モスクがこの系譜に属する。
9世紀後半に王朝が各地の支配を失った後も、その建築はイラク、イラン、エジプト、北アフリカの後継諸王朝に模倣された。11世紀以降は実権を握ったセルジューク朝の建築と区別しがたくなり、1258年のモンゴル軍によるバグダード攻略で王朝とともに終わる。脆い素材と度重なる戦乱のため、首都バグダードの遺構はほとんど残っていない。
イラン中部エスファハーンの旧市街にある会衆モスク。8世紀後半の創建以来、セルジ…