生神女就寝大聖堂 Dormition Cathedral
モスクワ・クレムリンの大聖堂広場に立つロシア正教会の聖堂。1475年から1479年にかけてイタリアの建築家フィオラヴァンティが、ロシアの伝統に西欧の構築技術を融合させて築いた。
§1 — 概要概要
生神女就寝大聖堂(Успенский собор)は、モスクワのクレムリン内、大聖堂広場の北側に立つロシア正教会の聖堂である。モスクワ大公国の母教会と位置づけられ、五つの円蓋を戴く姿は、後のロシア各地の聖堂の規範となった。
歴史
この地には14世紀、府主教ピョートルの勧めにより大公イヴァン1世が石造の聖堂を築いた。15世紀末には老朽化し、モスクワの建築家クリフツォフとムイシキンによる再建が試みられたが、1474年、完成間際に地震で崩壊した。そこで大公イヴァン3世は、ボローニャ出身の建築家・技師アリストティル・フィオラヴァンティを招いた。彼はウラジーミルの同名大聖堂を範とするよう求められて現地で建築手法を学び、1475年に着工、1479年に府主教ゲロンティによって成聖された。
建築的特徴
フィオラヴァンティは、ロシア正教会の伝統的な構成を保ちつつ、明快な比例と西欧の構築技術を持ち込んだ。白色石灰岩を用い、五つの玉ねぎ型ドームを均等に配し、内部は柱を細くすることで広く明るい空間を実現している。中央と四方に置かれた五つのドームはキリストと四人の福音書記者を象徴するとされ、この構成は後の多くのロシアの聖堂に範を与えた。壁面は聖人を描いたフレスコ画と多数のイコンで覆われ、イコンのなかには「ウラジーミルの生神女」など名高い聖像も納められた。聖障(イコノスタシス)が至聖所を画する。
意義・現在
1547年のイヴァン4世の戴冠以降、1896年まで歴代ロシア君主の戴冠式の舞台となり、府主教・総主教の着座式もここで執り行われた。歴代のモスクワ府主教・総主教の埋葬地ともなっている。ソビエト期には礼拝が禁じられたが、現在はクレムリン博物館の一部として公開され、「モスクワのクレムリンと赤の広場」の構成資産として世界遺産に登録されている。