EST. 2026 — Editorial Archive of Notable Architecture
エルンスト・ハッペル・シュターディオン
© Arne Müseler / arne-mueseler.de / CC BY-SA 3.0 de
FIG. 01 — Q185741
時代 · 近代モダニズム 類型 · 公共・官庁 ★ オーストリア記念物保護対象(Denkmalschutz)

エルンスト・ハッペル・シュターディオン Ernst-Happel-Stadion

ウィーン、プラーター公園内に建つオーストリア最大のスタジアム。1931年の第2回労働者オリンピアードに向けてドイツの建築家オットー・エルンスト・シュヴァイツァーが設計し、機能主義に基づく近代スタジアムの先駆となった。

FIG. 02 — Location48.2072° N 16.4208° E
オーストリア ウィーン ウィーン
§1 — 概要

概要

ウィーン2区レオポルトシュタットのプラーター内に位置する、オーストリア最大のスタジアム(収容約5万人)である。1992年までは「プラーター・シュターディオン(Praterstadion)」と呼ばれた。サッカーのオーストリア代表の本拠地であり、UEFA EURO 2008の決勝を含む数々の国際試合の舞台となってきた。設計者はドイツの建築家オットー・エルンスト・シュヴァイツァー。観客の安全な動線と短い退場時間を重視した、戦間期の機能主義を体現する近代スタジアムの先例として知られる。

歴史

オーストリア共和国の建国10周年を記念する事業として計画され、1928年11月に定礎、1929年から1931年にかけて約23か月で建設された。1931年に開催された第2回労働者オリンピアードに合わせ、同年7月11日に開場している。構造設計には土木技師ルドルフ・ザリガーが携わった。当初の収容は約6万人で、当時のヨーロッパでも最も近代的なスタジアムのひとつと評された。ナチス・ドイツによる併合(1938–45年)下では兵営・集結地として転用され、1939年にはウィーンのユダヤ人を一時的に拘禁する場としても使われた——スタジアムの歴史にはこの負の側面も刻まれている。戦後はオーストリア・サッカーの中心的会場となり、1980年代の大改修で特徴的な楕円形の屋根が架けられた。1992年に死去した名選手・名指導者エルンスト・ハッペルを記念して、翌年「エルンスト・ハッペル・シュターディオン」と改称された。

建築的特徴

シュヴァイツァーは単なる競技場ではなく、プールや競輪場などを備えた複合スポーツ施設として全体を構想した。設計の主眼は観客が短時間で安全に退場できる動線計画にあり、約7〜8分という当時としては画期的な退場時間を実現している。装飾を排し、機能と構造から形を導く姿勢は、両大戦間の機能主義(新即物主義)の理念に通じる。1980年代の改修で加えられた楕円形の大屋根は、中央へ約50メートル張り出すカンチレバー構造で、277×223メートルという当時世界最大級のスパンを誇った。

意義・現在

エルンスト・ハッペル・シュターディオンは、労働者スポーツ運動の理念と近代建築の合理主義が結びついた、戦間期スタジアム建築の重要な作例である。歴史的記念物として保護される一方、老朽化を背景に建て替えの是非も議論されてきたが、保護指定により全面解体は避けられ、改修によって使い続けられている。現在もオーストリア代表戦や大規模コンサートの会場として、ウィーンのスポーツ・文化の一拠点であり続けている。

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LAST EDIT — 2026.06.26
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