シェーンブルン宮殿 Schönbrunn Palace
ウィーン南西部、ハプスブルク家の夏の離宮。1683年のオスマン軍による破壊ののち、レオポルト1世がフィッシャー・フォン・エルラッハに新宮殿を委ね、1696年に着工した。マリア・テレジア治世下でパカッシがロココ様式に改めた、約1,440室を擁するバロックの宮殿庭園複合体である。
§1 — 概要概要
シェーンブルン宮殿(Schloss Schönbrunn)は、ウィーン南西部のヒーツィンク区に建つ、ハプスブルク家の夏の離宮である。約1,440室を数える宮殿本体と、丘上のグロリエッテや噴水を配した広大なバロック庭園からなる複合体で、18世紀から1918年の帝政終焉まで歴代皇帝の居所となった。バロックの構造体にロココの室内装飾をまとった姿は、建築・装飾・造園が一体となった総合芸術(ゲザムトクンストヴェルク)の好例とされる。
歴史
地名「シェーンブルン(美しい泉)」は17世紀初頭にさかのぼり、この地には離宮が営まれていたが、1683年の第二次ウィーン包囲でオスマン軍により破壊された。皇帝レオポルト1世は宮廷建築家ヨハン・ベルンハルト・フィッシャー・フォン・エルラッハに新宮殿の設計を委ね、1696年に建設が始まった。中央部は1700年ごろに居住可能となったが、スペイン継承戦争と1711年の皇帝ヨーゼフ1世の急死により工事は中断し、両翼は1713年に完成した。
転機は1740年に即位したマリア・テレジアの治世である。荒れていた建物の大改修が宮廷建築家ニコラウス・パカッシの設計で進められ(1743〜49年を中心に段階的に実施された)、フィッシャー・フォン・エルラッハの構造を残しつつ、内部は当時最先端のロココ様式へと一新された。皇后はここを常住の居城とし、16人の子(マリー・アントワネットを含む)を育て、幼いモーツァルトの御前演奏もこの宮殿で行われた。
建築的特徴
全長約160メートルに及ぶ主ファサードは、ピラスターと彫像で分節された左右対称の構成をとり、バロックの威儀を示す。一方で見どころの多くは室内にある。パカッシは中央を貫く大広間を撤去し、宮殿を横に貫く二つの画廊——大ギャラリーと小ギャラリー——を新設した。白と金を基調にした漆喰装飾、天井画、鏡、そしてロカイユを多用した繊細な意匠は、オーストリア・ロココの代表作に数えられる。「百万の間」では、金色のカルトゥーシュに嵌め込まれたインド・ペルシアの細密画が壁面を覆う。外観を特徴づける黄褐色(「シェーンブルン・イエロー」)は、19世紀前半の新古典主義的な改修で定着したものである。
意義・現在
宮殿前面に広がるフランス式庭園は、丘上のグロリエッテへと軸線を結び、ネプチューンの泉やローマ遺跡風の人工廃墟を点在させる。1752年に庭園内へ開かれた動物園は、現存する世界最古級のものである。1814〜15年のウィーン会議の舞台となり、ナポレオンの司令部にも使われた。1918年に共和国の所有となって以降、その姿はおおむね当時のまま保たれ、1996年に庭園とともに世界遺産へ登録された。現在はオーストリア随一の観光地として、年間数百万人を迎えている。