テルアビブ北部にある、イスラエルを代表する見本市・コンベンション複合施設。1932年に始まったレヴァント見本市を母体とし、1934年にはアリエ・エルハナニらによるバウハウス風の会場が築かれた。1959年に現在地へ移り、今日まで展示会や催事の舞台となっている。
§1 — 概要概要
テルアビブ北部、ロカッハ通りに広がる、イスラエルを代表する見本市・コンベンションの複合施設である。展示会や見本市、会議、コンサートなど、大規模な催しの舞台となってきた。その起源は、建国前の1930年代にこの地で開かれた国際見本市「レヴァント見本市」にさかのぼる。
歴史
レヴァント見本市(ヤリド・ハミズラハ、「東方の市」)は、建国前のユダヤ人社会が産業の成果を世界に示す国際見本市であった。1932年に初めて「レヴァント見本市」の名で開かれ、1934年には、テルアビブ港にほど近いヤルコン川の河口に、専用の会場が築かれた。
この1934年の見本市は、36か国が参加し、六週間で約60万人を集める、当時世界で4番目に大きな見本市となった。会場は、主任建築家アリエ・エルハナニのもと、各国のパヴィリオンが広場を囲んで配される構成で、その多くがバウハウスに学んだ建築家たちの手になるものであった。見本市の象徴として、エルハナニのデザインした「空飛ぶラクダ」のロゴが掲げられた。
1936年を最後に見本市は途絶え、旧会場はやがて荒廃する。建国後の1959年、見本市はヤルコン川を越えた現在地、ロカッハ通りへと移された。この移転もまたエルハナニが計画し、テルアビブ建設50周年を祝う催しとともに開場した。その後、会議場(1983年)や大規模な展示館(2003年のパヴィリオン1など)が加えられ、施設は拡張を続けている。
建築的特徴
歴史的に名高いのは、1934年の見本市会場である。白い箱形のヴォリュームと水平の連窓、簡潔な造形——ヨーロッパから渡ってきた建築家たちがもたらしたインターナショナル・スタイル(バウハウス)が、会場全体を貫いていた。同じ頃に築かれつつあった「白い都市」テルアビブのモダニズムと響き合う、ユートピア的な白い博覧会都市であった。
意義・現在
エキスポ・テルアビブは、テルアビブのモダニズムと商工業の発展を映してきた施設である。母体となったレヴァント見本市は、建国前のテルアビブを国際的な商業の舞台へと押し上げた。2019年にはユーロビジョン・ソング・コンテストの会場ともなり、今もイスラエル随一の国際見本市・会議の拠点であり続けている。
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