EST. 2026 — Editorial Archive of Notable Architecture
フェルドウスィー廟
© DavoudDavoudi / CC BY-SA 4.0
FIG. 01 — Q5959602

イラン北東部トゥースに建つ、叙事詩『シャー・ナーメ』の詩人フェルドウスィーを顕彰する廟。1928–34年にアケメネス朝様式で建てられ、1960年代にフーシャング・セイフンが改修・拡張した白大理石の記念碑である。

FIG. 02 — Location36.4861° N 59.5175° E
イラン マシュハド郡
§1 — 概要

概要

フェルドウスィー廟(آرامگاه فردوسی、Ârâmgâh-e Ferdowsî)は、イラン北東部ラザヴィー・ホラーサーン州の古都トゥースに建つ記念碑的な廟である。ペルシアの民族叙事詩『シャー・ナーメ(王書)』を著した詩人フェルドウスィー(940頃–1020頃)を顕彰するもので、白大理石による立方体の本体を、四分庭園(チャハル・バーグ)が囲む。古代アケメネス朝の建築語彙を採り、近代イランの国民意識と結びついた記念建築である。

歴史

フェルドウスィーは没後、町のイスラーム墓地への埋葬を拒まれて自邸の庭に葬られたと伝わり、その墓は長く小さな祠を残すのみであった。20世紀初頭、国民的詩人としての再評価が進み、国家遺産協会(アンジョマネ・アーサーレ・メッリー)の主導で記念廟の建設が決まる。建設は1928年に始まり、詩人の生誕千年祭に合わせて1934年に完成した。現在の立方体の意匠は建築家カリム・タヘルザーデ・ベフザードによる(初期の円蓋案はホセイン・ロルザーデが描いたが採用されなかった)。地盤の沈下を受け、1964年から1968年にかけて建築家フーシャング・セイフンが改修と拡張を行い、地下に大広間を設けて現在の姿に整えた。

建築的特徴

廟は古代アケメネス朝、とりわけパサルガダエのキュロス大王墓を範とする立方体を、段状の基壇の上に据える。四隅にはペルセポリスの列柱を想わせる柱が立ち、壁面は『シャー・ナーメ』の場面や詩句のレリーフ・銘文で飾られる。詩人の遺体は中央の地下に葬られると伝わる。1960年代の改修では原構造の床を掘り下げて約900平方メートルの広間を設け、釉薬タイルや浮彫で内部を装飾した。周囲の庭園もペルシア式の四分庭園として拡張された。

意義・現在

パフラヴィー朝は、イスラーム以前のイランの遺産を国民的象徴として掲げる文化政策のなかで、フェルドウスィーを国家のアイデンティティの礎と位置づけた。アケメネス様式の採用はその政治的文脈と不可分である。廟はトゥース博物館(フェルドウスィー博物館)などを含む広大な複合施設の中心をなし、詩人メフディ・アハヴァーネ・サーレスや歌手モハンマド・レザー・シャジャリアンの墓も同じ敷地にある。イランを代表する文化的巡礼地の一つとして、現在も多くの来訪者を集めている。

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データ: Wikidata (Q5959602) / 画像: © DavoudDavoudi / CC BY-SA 4.0 — Wikimedia Commons
※ イランにはパノラマの自由が及ばず、本記念物の意匠は著作権の対象でありうる。掲載画像は撮影者のライセンス(CC BY-SA 4.0)に基づく。
LAST EDIT — 2026.06.29
ENTRY ID — BLD-0964