レーニン廟 Lenin's Mausoleum
モスクワ赤の広場に立つ、ソ連の指導者レーニンの遺体を安置した花崗岩の霊廟。アレクセイ・シューセフが設計し、1930年に完成した。階段状の量塊は古代の墓廟を想起させ、ソ連の記念碑建築を象徴する。
§1 — 概要概要
レーニン廟(Мавзолей Ленина)は、モスクワの赤の広場、クレムリンの城壁を背にして立つ霊廟である。ソビエト連邦の建国者ウラジーミル・レーニンの遺体を防腐処理のうえ安置し、その死の直後から今日まで公開している。設計はアレクセイ・シューセフで、現在の花崗岩造の建物は1930年に完成した。低く水平に伏せた階段状の量塊は、ソ連という新国家の記念碑建築を代表する作例として知られる。
歴史
1924年1月のレーニンの死の二日後、シューセフは弔問者が遺体を見られる施設の設計を委ねられた。最初の木造廟はわずか数日で建てられ、続いて同年春に、より大きな第二の木造廟が築かれた。1929年、遺体の長期保存が可能と判断されたことを受けて恒久的な石造廟への建て替えが決まり、公募を経てシューセフの案が選ばれた。建設は約16か月を要し、1930年10月に完成した。1953年から1961年まではスターリンの遺体も並べて安置され、「レーニンとスターリンの廟」と呼ばれた時期がある。
建築的特徴
鉄筋コンクリートの躯体を煉瓦で覆い、外装に赤の花崗岩、黒と灰色のラブラドライト、斑岩を貼る。立方体を基調に段を重ねた構成で、上端には軍事パレードを観閲する壇が設けられた。この階段状の姿は、エジプトの階段ピラミッドやメソポタミアのジッグラト、キュロス大王の墓といった古代の墓廟・記念物を意識したものとされる。内部は左右の階段から弔問の間へ下り、ガラスの石棺を三方から巡って外へ抜ける動線をとる。装飾を排した重厚な量塊は、構成主義の只中にあって古代の範例を引いた折衷的な性格をもつ。
意義・現在
レーニン廟は、ソ連の国家儀礼と権威の可視化装置として機能し、毎年の戦勝記念日には今も国家指導者の観閲壇として用いられる。建つ赤の広場はクレムリンとともにユネスコ世界遺産に登録され、廟自体もロシア連邦の文化遺産に指定されている。ソ連崩壊後も遺体の公開は続き、埋葬の是非をめぐる議論の焦点であり続けている。世俗の国家が築いた「聖遺物なき聖堂」として、20世紀の政治と建築の関係を考えるうえで欠かせない作例である。