パイミオのサナトリウム Paimio Sanatorium
フィンランド南西部の松林に建つ旧結核療養所。アルヴァ・アールトとアイノ・アールトが1929年の設計競技で一等を得て1933年に完成させた、機能主義を病者の身体に寄り添わせた近代建築の里程標である。
§1 — 概要概要
フィンランド南西部、トゥルク近郊の松林の高台に建つ旧結核療養所である。1928年から翌年にかけて行われた設計競技でアルヴァ・アールトとアイノ・アールトの案が一等となり、1930年に着工、1933年に完成した。白い量塊、細い柱、南へ大きく開いた療養棟という外観は、当時ヨーロッパで台頭していた機能主義の語彙をそのまま用いている。ただしこの建物が特別なのは、その語彙を抽象的な造形としてではなく、病者の身体という具体的な条件に合わせて調整した点にある。アールトはこの建物を「医療器具」と呼んだ。2026年、他の12件とともに世界遺産「アアルト作品群」の構成資産となった。
歴史
1920年代のフィンランドにおいて結核は最大の公衆衛生上の脅威であり、南西部の複数の自治体が共同で療養所を建てることを決めた。1928年に告示された競技設計の結果は翌1929年に出され、当時31歳のアールトの案が選ばれる。それ以前の彼の仕事には古典主義の色が残っていたが、この案では病室を並べた細長い療養棟、食堂と共用室の棟、厨房と職員宿舎の棟をそれぞれ別の翼に分け、機能ごとに向きを変えて松林に差し込む構成が採られた。着工は1930年。工事の途中で参加自治体が増えたため療養棟には階が積み増され、最終的に定員は300床近くに達した。竣工後まもなく国内外の建築誌が取り上げ、フィンランド建築はこのとき初めて、影響を受け取る側から送り出す側へ回る。
1950年代には外科病棟が増築されたが、抗生物質の普及によって結核患者は急速に減り、1960年代に一般病院へ転用された。現在も所有者はトゥルク大学病院だが病院としては使われておらず、2014年以降は児童・青少年のリハビリテーション施設として活用されている。近年はノルウェーのスノヘッタによる保存活用計画がまとめられ、建物の次の用途が模索されている。
建築的特徴
計画の中心にあるのは、当時ほとんど唯一の治療法であった「安静・清浄な空気・日光」である。療養棟は南南東へ向けられ、各階の端には重症者をベッドごと運び出せる日光浴バルコニーが設けられた。歩ける患者は最上階の日光浴デッキへ上がる。病室は二人部屋を基本とし、天井は眩しさを避けるため落ち着いた緑がかった灰色に塗られ、照明は横になった患者の視線に入らない位置へ置かれた。洗面器は水が陶器の斜面を伝って落ちるよう形をあらため、同室者の眠りを妨げないようにしてある。暖房は天井からの輻射とし、寝ている身体に直接熱や気流が当たらないよう配慮された。作り付けの戸棚は床から浮かせて掛けられ、その下を掃除できる。
外形の語彙は同時代の近代建築のもので、細い鋼製サッシュによる横長窓、屋上を使い切る屋上庭園、柱で持ち上げられた軽い構えがそろっている。しかし主玄関に架かる庇は輪郭の定まらない曲線を描いており、年長世代の作品には見られない柔らかさをすでに示している。家具と内装はアールト夫妻が担い、呼吸が楽になる角度を探って背もたれを傾けた「パイミオ・チェア」をはじめとする曲げ木の椅子群がここで生まれた。これらは現在もアルテックによって生産されている。
意義・現在
パイミオが繰り返し参照されてきたのは、機能主義が機械の美学に尽きるものではないと示したからである。ここで最適化されたのは生産効率ではなく、数年にわたってこの建物で暮らす人間の一日であった。光の当たり方、音の届き方、体を起こすときの手のかかり方といった尺度で建築を検証する態度は、その後の医療・福祉建築の前提となり、アールト自身の作風もここを境に、幾何学から素材と身体感覚へと重心を移していく。
建物は現在も見学が可能で、復原された病室や食堂を見ることができる。2026年7月、ブサンで開かれたユネスコ世界遺産委員会は、アルヴァ・アールト、アイノ・アールト、エリッサ・アールトによる13件を「アアルト作品群」として一括登録し、本館もその構成資産となった。フィンランドにとっては8件目の世界遺産であり、同国の近代建築が登録されるのはこれが初めてである。