ペルテヴニヤル・ヴァリデ・スルタン・モスク Pertevniyal Mosque
イスタンブール・アクサライに建つオスマン帝国末期の皇室モスク。アブデュルアズィズの母ペルテヴニヤル・スルタンの寄進で1869–71年に建てられた、ゴシックなど折衷的な意匠を採り入れた華麗な一棟である。
§1 — 概要概要
ペルテヴニヤル・ヴァリデ・スルタン・モスク(Pertevniyal Valide Sultan Camii)は、イスタンブール旧市街のアクサライ地区に建つオスマン帝国の皇室モスクである。アクサライ・ヴァリデ・モスクとも呼ばれる。スルタン・アブデュルアズィズの母である母后(ヴァリデ・スルタン)ペルテヴニヤルの寄進により建てられた、オスマン帝国末期を飾る大規模なモスクの一つで、折衷主義的な意匠で知られる。
歴史
モスクは1869年11月に着工し、1871年に完成した。設計者については諸説あり、宮廷建築家バリアン家のサルキス・バリアンが図面を引き、イタリア系のピエトロ・モンターニが主に装飾計画を担ったとする見方が有力である。ほかにアゴプ・バリアンや製図家オセプの関与も指摘される。母后ペルテヴニヤルは完成の13年後、1883年に没し、モスクに付属する廟に葬られた。複合施設にはかつて廟・サビール(給水所)・時計室・図書館・マドラサ(神学校)が伴ったが、1911年のマドラサ焼失や、1956–59年のアクサライ広場の改修によって一部が失われた。
建築的特徴
正方形の礼拝室を一つのドームが覆う、伝統的な単廊式の平面をとる。垂直性を強調した本体の前に2層の付属棟が付き、その両脇に各1個のバルコニーをもつミナレットが立つ。最大の特色は装飾の密度と多様さにあり、ファサードの突出部やドームのドラム部の窓には尖頭アーチを用いたゴシック風の意匠が見られる。一方で窓上の三連の盲ニッチやムカルナスの繰形、アラベスク、中国風の花文など、オスマンの伝統的装飾も併用される。ゴシック・オスマン・インドなど複数の様式を一棟に重ねる、19世紀ヨーロッパに広がった折衷主義の典型である。
意義・現在
ペルテヴニヤル・ヴァリデ・スルタン・モスクは、チュラーン宮殿などと並んで、アブデュルアズィズ治世下に試みられたオスマン的・イスラーム的形態の再生の動きをよく示す。当時はゴシックとイスラーム建築を同根とみなす見方が広まっており、ゴシック風の要素はその信念とも結びついていた。周辺の度重なる道路工事により、モスクは今では周囲の街路より低い位置に取り残されている。現在も礼拝の場として用いられ、金曜礼拝には多くの参拝者を集める。