イスタンブルの丘に広がる、オスマン帝国末期の宮殿群。19世紀末、海辺の宮殿を離れたアブデュルハミト2世が居所と政庁を移し、離宮や庭園、工房を増築して帝国第四の宮廷とした。サルキス・バルヤンやライモンド・ダロンコらが手がけた折衷的な建築が残る。
§1 — 概要概要
ユルドゥズ宮殿(Yıldız Sarayı)は、トルコ・イスタンブルのボスポラス海峡を望むベシクタシュの丘陵に広がる、オスマン帝国末期の宮殿群である。「ユルドゥズ」は「星」を意味する。単一の壮麗な建物ではなく、離宮(キョシュク)、庭園、劇場、陶器工房などが森のなかに点在する複合体で、19世紀末から20世紀初頭にかけて現在の姿に整えられた。
歴史
この一帯はもともと帝室の狩猟林で、18世紀末、セリム3世が母后のために最初の離宮を建てた。19世紀には歴代スルタンが館を営んだが、宮殿が帝国の中枢となるのは、1880年代にアブデュルハミト2世がここへ居を移してからである。海峡に面したドルマバフチェ宮殿への海上からの攻撃を恐れた彼は、内陸のこの丘に居所と政庁を移し、トプカプ、ドルマバフチェに続く第四の宮廷とした。スルタンは離宮や事務棟、図書室、武器庫、さらに陶器工房までを次々と増築し、宮殿は厚い塀に囲まれた小都市の様相を呈した。1909年に彼が廃位されると宮殿は政治の舞台としての役割を終え、今日では一部が博物館や公園として公開されている。
建築的特徴
ユルドゥズ宮殿は、長期にわたり複数の建築家の手で築かれたため、単一の様式をもたない。宮廷建築家の一族バルヤン家のサルキス・バルヤンは、現存する主要建物の大マベイン館(1866年)を設計し、ヨーロッパの新古典主義やバロックをオスマンの意匠と折衷させた。アブデュルハミト2世が招いたイタリア人ライモンド・ダロンコは、シャレ離宮の増築や庭園の小建築に、当時興りつつあったアール・ヌーヴォーの流動的な曲線を持ち込んだ。木と石を組み合わせた離宮群は、壮大さよりも親密さを重んじ、起伏する地形と庭園に溶け込むように配置されている。
意義・現在
ユルドゥズ宮殿は、西欧化と伝統の折衷というオスマン末期の建築の縮図である。ヨーロッパ各国の様式を貪欲に取り込みながら、それを庭園都市のように緩やかに編成する手法は、整然たる軸線で権力を誇示したヨーロッパの宮殿とは対照的であった。現在はシャレ離宮などが博物館として公開され、庭園は市民の憩いの場となっている。トルコの世界遺産暫定リストにも記載されている。