ウィーン中心部の目抜き通りグラーベンに建つバロックの三位一体記念柱。1679年の大規模なペストの流行を機にレオポルト1世の誓願で計画され、多くの彫刻家の手を経て1694年に完成した、市内有数の記念碑である。
§1 — 概要概要
ペスト記念塔(ウィーンのペスト記念柱、三位一体記念柱)は、オーストリアのウィーン中心部の目抜き通りグラーベンに建つ、バロックの記念碑である。1679年にウィーンを襲った大規模なペストの流行を機に建てられ、市内で最もよく知られた彫刻群の一つに数えられる。雲を積み上げたような台座の上に三位一体を頂く、劇的な構成をもつ。
歴史
1679年、市を逃れた皇帝レオポルト1世は、疫病が収まれば記念柱を建てると誓願した。同年ただちにヨハン・フリューヴィルトによる仮設の木柱が据えられた。1683年にはマティアス・ラウフミラーが全体の構想を委ねられたが、1686年に没し、その基本案と三体の天使像が後の記念柱に受け継がれた。続いてヨハン・ベルンハルト・フィッシャー・フォン・エルラッハが基部の彫刻を手がけ、最終的に劇場技師ルドヴィーコ・ブルナチーニの構想に基づいて、パウル・シュトゥルーデルが施工を統括した。記念柱は1694年に完成した。
建築的特徴
当初は伝統的な記念柱として構想されたが、設計の度重なる変更を経て、物語を劇的に語る盛期バロックの場面へと姿を変えた。下段には人間界として、執り成しのために神へ祈る皇帝レオポルト1世がひざまずく。その上に天使たちが介在する中間の層が重なり、頂部に三位一体が置かれる。三という数が垂直方向にも平面の構成にも繰り返し用いられ、込み入った図像が一体の群像へとまとめ上げられている。
意義・現在
長い建設期間と多くの彫刻家の関与にもかかわらず、記念柱は驚くほど統一感のある作品に仕上がっており、ウィーンにおける盛期バロックへの移行を告げる作例とされる。記念柱は、ペストとともに同じ1683年に退けられた第二次ウィーン包囲をも記念するものとされ、台座にはハプスブルク家の所領の紋章が刻まれている。その様式はオーストリア各地で模倣され、後の記念柱の手本となった。現在もグラーベンの中央に立ち、ウィーンの街並みを代表する記念碑の一つとして親しまれている。