マルタの首都バレッタにあった歌劇場。ロンドンのコヴェント・ガーデン劇場を手がけたE・M・バリーの設計で1866年に開場したが、1942年の空襲で破壊された。新古典主義の壮麗な劇場として島の象徴であった。
§1 — 概要概要
マルタの首都バレッタに建っていた歌劇場である。マルタ語ではイッ=テアトル・リヤル(王立劇場)と呼ばれた。ロンドンのコヴェント・ガーデン王立劇場を設計したイギリスの建築家エドワード・ミドルトン・バリーの手になり、新古典主義の端正な意匠でバレッタを代表する建築のひとつに数えられた。第二次世界大戦の空襲で失われ、現存しない。
歴史
設計は1861年までにまとまり、敷地のためにカーザ・デッラ・ジョルナータが取り壊されたのち、1862年に建設が始まった。約1,100席を備えた劇場は1866年10月9日に開場する。しかし開場からわずか七年後の1873年、火災で内部を焼失した。外壁は残ったものの石材が熱で傷み、再建を経て1877年にヴェルディの《アイーダ》上演とともに再開している。1942年4月7日、ドイツ空軍の爆撃を受けて壊滅的な被害を負い、外周の柱列とテラスを残して失われた。残された構造も1950年代後半に保安上の理由から撤去された。
建築的特徴
通りの起伏に応じて側面にテラスを設けるなど、傾斜地に古典主義の整然とした劇場を据えるための工夫がなされた。列柱を連ねたファサードとポルティコは、19世紀の歴史主義が範とした古典様式の語彙を踏まえたものである。内部は当時のオペラ劇場の典型に従う馬蹄形の観客席を備え、バレッタの目抜き通りに面した壮麗な外観は、長く島の文化的象徴とみなされた。
意義・現在
戦災で失われたのち、再建は幾度も計画されながら、より緊急とされた他の事業に押されて実現しなかった。1990年代以降、イタリアの建築家レンゾ・ピアノが廃墟を生かす設計を委ねられ、2013年に屋外劇場ピャッツァ・テアトル・リヤルとして再び公演の場となった。破壊された劇場そのものは戻らなかったが、残された遺構は現代の介入と共存しながら、バレッタの記憶と都市の入口をかたちづくっている。