ベラルーシ西部、名門サピエハ家の本拠に築かれた大宮殿。17世紀初頭の城館を母体に、1784年から建築家ヤン・サムエル・ベッカーがバロックから古典主義への過渡的様式で再建したが、二度の大戦で廃墟と化し、現在は壮麗な門が修復されている。
§1 — 概要概要
ルジャヌィ宮殿(ベラルーシ語: Ружанскі палац)は、ベラルーシ西部ブレスト州のルジャヌィに残る大宮殿の遺構である。16世紀末から19世紀にかけてリトアニア大公国の名門貴族サピエハ家の本拠地として栄え、ベラルーシ有数の宮殿建築群を成した。現在見られる姿の大部分は、18世紀後半に建築家ヤン・サムエル・ベッカーが手がけた再建による。
歴史
1598年、リトアニア大宰相レフ・サピエハがルジャヌィを取得し、1602年に三つの塔をもつ防御的な城館を建てた。この居館は1700年、リトアニア大公国内の抗争のなかでヴィシニョヴィエツキ勢の攻撃を受けて損なわれた。18世紀後半、アレクサンデル・ミハウ・サピエハが宮廷建築家ベッカーを起用し、1784年から1786年にかけて旧城の壁を生かして壮麗な邸宅へと建て替えた。あわせて劇場(1784–88年)やオランジュリー、教会などが整えられ、英国式の庭園が配された。だが1831年の十一月蜂起の後にサピエハ家の所領は没収され、宮殿は織物工場へ転用される。1914年に工場労働者の失火で焼け、第一次世界大戦と財政難で修復は進まず、いったん部分的に復された建物も第二次世界大戦でふたたび廃墟となった。
建築的特徴
ベッカーの再建は、バロックから古典主義へ移行する過渡期の様式を示す。旧城の塔のうち二基は取り壊され、西側の一基を新たな建物に取り込むことで、左右対称の構成がつくられた。主棟は高いマンサード屋根を頂く二階建ての矩形で、正面には二階へ持ち上げた二対の円柱から成るポルティコが突き出し、彫刻を飾った高い三角破風が冠する。背面には十本の円柱が並ぶ広いテラスが舞踏室へと開く。宮殿前の低地には教会と修道院が配され、宮殿・劇場・付属施設が一体の建築群を成していた。
意義・現在
ルジャヌィ宮殿は、ポーランド・リトアニア共和国末期における貴族の宮廷文化と、その時代の建築水準を伝える記念碑的な遺構である。二度の戦火で主要部は崩れたままだが、装飾的な正門と入口棟は近年修復され、博物館として公開されている。宮殿全体についても継続的な復元事業が進められており、サピエハ家の栄華を物語る場として再び注目を集めている。