サン・セバスティアーノ・フオーリ・レ・ムーラ聖堂 San Sebastiano fuori le mura
ローマ南郊、アッピア街道のサン・セバスティアヌスのカタコンベ上に建つ聖堂。4世紀のコンスタンティヌス帝のバシリカに起源し、17世紀初頭にボルゲーゼ枢機卿の命でフラミニオ・ポンツィオとヴァサンツィオが再建した。ローマ七大巡礼聖堂の一つ。
§1 — 概要概要
サン・セバスティアーノ・フオーリ・レ・ムーラ聖堂(Basilica di San Sebastiano fuori le mura)は、ローマ南郊のアッピア街道沿い、同名のカタコンベの上に建つ聖堂である。「フオーリ・レ・ムーラ(城壁の外)」の名は、アウレリアヌス城壁の外に位置することに由来する。4世紀のコンスタンティヌス帝の時代に起源をもち、長く「ローマ七大巡礼聖堂」の一つに数えられてきた。
歴史
伝承によれば、迫害の時代に使徒ペテロとパウロの遺骸が一時この地のカタコンベに移されたとされ、4世紀前半、コンスタンティヌス帝はその上に大規模なバシリカを建てた。当初は「使徒たちのバシリカ(バシリカ・アポストロルム)」と呼ばれたが、地下に葬られた3世紀の殉教者・聖セバスティアヌスにちなみ、後に現在の名で呼ばれるようになった。今日見られる建物は、教皇パウルス5世の甥シピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿が17世紀初頭に命じた全面的な改築による。1608年に始まった工事はフラミニオ・ポンツィオが主導し、1613年の彼の死後はジョヴァンニ・ヴァサンツィオが引き継いで、同じ1613年にファサードを完成させた。
建築的特徴
ファサードは、三連アーチのポルティコを束ね柱状のイオニア式円柱で支える構成で、その花崗岩の円柱は古代のコンスタンティヌス帝のバシリカから転用されたものである。内部は身廊のみの単廊式で、両側は側祭室を納めるアーチ状の壁龕となる。ヴァサンツィオの手になる彫刻入りの木造天井には、聖セバスティアヌスの像とボルゲーゼ家の紋章が刻まれている。聖堂にはまた、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ最晩年の作とされる胸像《救世主(サルヴァトール・ムンディ)》が伝わる。
意義・現在
初期キリスト教のバシリカと初期バロックの聖堂が一つの建物の中に重なり合う点に、この聖堂の歴史的な厚みがある。地下には聖セバスティアヌスのカタコンベが広がり、巡礼と考古の双方の場として、今も訪れる人が絶えない。