EST. 2026 — Editorial Archive of Notable Architecture
エルサレム神殿
© Sarah Murray / Wikimedia Commons / CC BY-SA 2.0
FIG. 01 — Q3906600

エルサレム神殿 Temple in Jerusalem

בֵּית־הַמִּקְדָּשׁ

エルサレムの神殿の丘に相次いで建てられ、ユダヤ教の祭祀の中心であった二つの神殿。ソロモンの第一神殿は前587年頃に、ヘロデ大王が大改築した第二神殿は70年に破壊され、いまは基壇の擁壁を残すのみである。

FIG. 02 — Location31.7778° N 35.2356° E
パレスチナ エルサレム エルサレム
§1 — 概要

概要

エルサレム神殿(ヘブライ語でベート・ハミクダーシュ=「聖なる家」)は、エルサレム旧市街の神殿の丘に相次いで建てられた二つの神殿を指す。イスラエル・ユダヤの祭祀を一箇所に集約する唯一の聖所であったが、建物そのものは現存しない。今日その位置を示すのは、第二神殿期にヘロデ大王が拡張した基壇の擁壁——その南西部の一角が「嘆きの壁(西の壁)」として知られる——だけである。

歴史

ヘブライ語聖書によれば、第一神殿はソロモン王が前10世紀に建てたもので、前587年頃、新バビロニアによるエルサレム攻囲のさなかに破壊された。約半世紀後、アケメネス朝ペルシアのキュロス2世の勅令によって再建が始まり、前515年頃に第二神殿が完成したと伝えられる。ただしこれらの年代は聖書の記述に依拠しており、現代の研究では確度に幅があるとみられている。

第二神殿は幾度も掠奪と冒瀆を経験した。セレウコス朝アンティオコス4世による強制的なヘレニズム化への反発はマカバイ戦争を招き、前164年のユダ・マカバイによる神殿の清めがハヌカーの起源となる。前63年にはポンペイウスが至聖所に踏み込んだ。

前20年頃、ヘロデ大王が神殿本体と神殿の丘を大規模に改築・拡張し、以後の建物は「ヘロデ神殿」と呼ばれる。70年、第一次ユダヤ戦争のさなかにローマ軍がエルサレムを陥落させ、神殿は焼失した。363年、ユリアヌス帝が再建を命じたが、地震と皇帝の急死によって頓挫している。

建築的特徴

聖書とヨセフスの記述によれば、神殿本体は三つの部屋を一本の軸線上に並べた構成であった。前室(ウーラーム)、主室にあたる聖所(ヘーカール)、そして最奥の至聖所(コデシュ・ハコダシーム)である。至聖所には第一神殿期には契約の箱が安置され、第二神殿期には空室のまま、大祭司が贖罪日にのみ立ち入ることを許された。本体の周囲を祭司の庭が囲み、その外側にイスラエルの庭、女性の庭、異邦人の庭が段階的に広がる。聖性の度合いに応じて立ち入りを段階的に制限する、同心的な構成である。

ヘロデによる拡張の主眼は、むしろこの外周にあった。丘の頂を巨大な人工の台地に造成し、精緻に加工した石材による切石積みの擁壁でこれを支えたのである。石の縁を細く彫り込んで面を控えるヘロデ式の目地処理は、現在も壁面で確認できる。台地の南端には列柱の並ぶ「王のバシリカ」が置かれ、広大な境内が広がった。

第一神殿については、考古学的な遺構がまだ確認されていない。その形状は文献からの復元にとどまり、フェニキアの神殿建築との類似が指摘されている。

意義・現在

神殿の消滅は、ユダヤ教を犠牲祭祀の宗教から、祈りと律法学習の宗教へ転換させた決定的な出来事であった。神殿はその後も祈祷、典礼詩、美術のなかで想起され続け、シナゴーグの平面やトーラーの櫃(アロン・コデシュ)の配置にも、その記憶が反映されている。

7世紀以降、神殿の丘には岩のドームとアクサー・モスクが建ち、イスラームにおける三番目の聖地「ハラム・アッシャリーフ(尊貴なる聖域)」となった。神殿本体の正確な位置については、岩のドームの下とする伝統的な説のほか、その北とする説、東とする説があり、定説をみない。この一帯はユネスコ世界遺産「エルサレムの旧市街とその城壁群」(1981年登録)に含まれ、翌1982年から危機遺産リストに掲載されている。

関連する建築

Related
同じ時代
万里の長城
1644 · 河北省ほか
万里の長城

中国北辺に東西数千キロにわたって連なる城壁の総称。前7世紀の諸侯国の壁に始まり…

同じ時代
ドーリア式 パルテノン神殿
前438 · アテネ
パルテノン神殿
Callicrates

アテネのアクロポリスにそびえる、女神アテナに捧げられた古代ギリシアの神殿。ペ…

同じ国
ローマ建築 嘆きの壁
前19 · エルサレム
嘆きの壁

エルサレム旧市街、神殿の丘/ハラム・シェリーフの西側を支える擁壁。前19年頃に…

データ: Wikidata (Q3906600) / 解説: Wikipedia 日本語版 · English / 画像: © Sarah Murray / Wikimedia Commons / CC BY-SA 2.0 — Wikimedia Commons
※ 掲載画像はエルサレムのイスラエル博物館が屋外展示する「第二神殿時代のエルサレム模型」(ホーリーランド・モデル)を撮影したものであり、神殿そのものの遺構ではない。
LAST EDIT — 2026.08.17
ENTRY ID — BLD-1126