クリミア半島南岸、アルプカに立つ宮殿。英国の建築家エドワード・ブロアが1828年から1848年にかけて設計し、テューダー様式とムーア様式を融合させた折衷的な避暑用邸宅である。
§1 — 概要概要
ヴォロンツォフ宮殿(Воронцовский дворец)は、クリミア半島南岸の町アルプカに立つ宮殿で、アルプカ宮殿とも呼ばれる。クリミア山地のアイ・ペトリ山を背に海へ臨む立地に、ロシア帝国の重臣ミハイル・ヴォロンツォフ公の避暑用邸宅として建てられた。イギリスの建築家エドワード・ブロアが設計を手がけ、クリミア屈指の宮殿建築として知られる。
歴史
宮殿は1828年から1848年にかけて、およそ九百万ルーブルを投じて建設された。設計者ブロアは、のちにロンドンのバッキンガム宮殿の設計を引き継いだことでも知られる人物だが、クリミアを訪れることなくイギリスで図面を描き、現地では助手ウィリアム・ハントが施工を監督した。完成した宮殿はロシア帝国の貴顕を魅了し、彼らがクリミア南岸に競って避暑の館を構える契機ともなった。第二次世界大戦末期の1945年、ヤルタ会談の折には英国代表団の宿舎として用いられ、チャーチルが滞在したことでも歴史に名を刻んでいる。
建築的特徴
建物は単一の様式に収まらない、折衷的な構成をとる。内陸に面する北側の外観はテューダー朝を思わせる英国ルネサンス・リヴァイヴァルの装いをとり、銃眼付きの胸壁や煙突が中世英国の城館を連想させる。これに対し海に面する南側の正面は、馬蹄形アーチと繊細な装飾をまとったムーア様式の劇的な意匠で飾られる。地元産の緑がかった閃緑岩が全体に用いられ、南側のテラスには大理石の獅子像が連なる階段が設けられた。ゴシック・リヴァイヴァルやスコティッシュ・バロニアルの要素も混じり、東西の様式が一棟のうちに共存している。
意義・現在
ヴォロンツォフ宮殿は、19世紀ヨーロッパにおける歴史主義建築の折衷性を体現する作例である。四十ヘクタールに及ぶ庭園はドイツ人造園家カロルス・キーバッハが設計したもので、宮殿と一体の景観をかたちづくる。現在は周辺の庭園とともに「アルプカ宮殿・公園総合体」として博物館・保護区となり、クリミア南岸有数の観光地となっている。なお同地の帰属は国際的な係争の対象であり、クリミアは国際的にはウクライナ領と認められる一方、2014年以降はロシアの実効支配下に置かれている。