エルサレムの「記憶の丘」に広がる国立ホロコースト記念施設。モシェ・サフディ設計の歴史博物館(2005年)は、丘を貫く三角形のプリズムで、闇から光への道行きを追悼の経験とする。
§1 — 概要概要
ヤド・ヴァシェム(יד ושם)は、エルサレム西部の「記憶の丘」(ヘルツルの丘)に広がる、ホロコーストの犠牲者を追悼し記録するための国立の記念施設である。1953年のクネセト立法によって設立され、丘の上には記念堂や博物館、資料館が長い年月をかけて築かれてきた。その建築的な中心をなすのが、モシェ・サフディの設計により2005年に開館したホロコースト歴史博物館である。
歴史
施設の整備は1950年代に始まり、1957年に最初の建物が開かれた。1961年にはアリエ・エルハナニの設計による追悼堂(オヘル・イズコル)が、1973年には最初のホロコースト歴史博物館が設けられた。1993年からは、より大規模な博物館への建て替え計画が進められ、約1億ドルを投じた十年がかりの拡張事業の末、2005年3月15日、40か国の指導者らが列席するなかで新しい歴史博物館が開館した。サフディはこれに先立ち、子供の記念碑(1987年)と移送者の記念碑(1995年)も手がけている。
建築的特徴
歴史博物館は、長さ約180メートル、高さ約16.5メートルの三角形のプリズム(角柱)が「記憶の丘」を貫く構成をとる。本体の大部分は地中に埋められ、頂部を走る長大な天窓だけが地表を切り裂くように現れる。来館者は丘の南側から地下の展示空間へ入り、暗がりのなかを一本の経路に沿って進み、やがて北側で、エルサレムの市街を望む開けた出口へとカンチレバー状に突き出る——闇から光へと向かう道行きそのものが、追悼の経験として設計されている。仕上げは装飾を排した打放しコンクリートで、その荒々しく重い質感が場の厳粛さを支える。経路の終端に置かれた「名前の間(Hall of Names)」では、上方へ伸びる円錐に犠牲者の写真と証言の断片が掲げられ、岩盤を穿った下方の円錐と水面がこれを映して、名の知られぬ犠牲者たちを記憶する。
意義・現在
ヤド・ヴァシェムは、約600万人が殺害されたホロコーストの史実を記録し、その一人ひとりの生に向き合うことを通じて、追悼と教育、研究の拠点として世界的な役割を担っている。サフディの建築は、抽象的な象徴に頼らず、空間の圧縮と光、身体の移動によって歴史と向き合わせる「経験の建築」として高く評価される。敷地内には追悼堂や「諸国民の中の正義の人」の並木道、共同体の谷なども含まれ、丘全体が記憶の場として機能している。