上エジプト、ナイル川西方の砂漠の縁に広がる古代エジプトの聖地。初期王朝の王墓が営まれ、のちに冥界神オシリス信仰の中心となった。王名表を刻むセティ1世神殿をはじめ、三千年に及ぶ造営の痕跡が重なる遺跡である。
§1 — 概要概要
アビドス(Abydos、古代エジプト語でアブジュ)は、エジプト南部ソハーグ県、ナイル川から西へ約11キロメートルの砂漠の縁に位置する古代エジプトの聖地である。先王朝時代の末から初期王朝時代にかけて王たちの墓所が営まれ、やがて冥界の神オシリスの埋葬地と信じられて、国内有数の巡礼地となった。現存する建築として最もよく知られるのは、第19王朝のセティ1世が建てた神殿で、壁面に刻まれた「アビドス王名表」と繊細な浮彫によって名高い。古代の町と主神殿の多くは現在の集落の下に埋もれ、発掘がいまも続いている。
歴史
町の背後に広がるウンム・エル=カアブの砂漠には、前3100年ごろのナルメル王を含む先王朝時代末の支配者と、第1王朝の諸王の墓が集まる。第2王朝末のカセケムウィ王は、その近くに日干し煉瓦の巨大な周壁シュネト・エズ=ゼビブを築いた。王の祭祀のための囲いと考えられており、厚い壁ゆえに長く砦と誤解されてきた。
古王国時代の末ごろから、墓地の守護神ケンティアメンティウは冥界の王オシリスと同一視され、第1王朝のジェル王の墓はオシリスの墓と解されるようになる。中王国時代にはオシリスの死と復活をめぐる祭儀が営まれ、各地の人々が参詣し、あるいは記念の石碑を奉納した。町の主神殿は第1王朝から末期王朝時代まで同じ場所で建て替えを重ね、中王国のセンウセレト3世は岩窟墓とそれに伴う葬祭施設を、新王国初頭のイアフメス1世はこの地で唯一のピラミッドを築いた。
前13世紀初め、第19王朝のセティ1世は旧来の神殿域から南へ離れた土地に大神殿を着工し、その死後、息子ラムセス2世が完成させた。ラムセス2世は近くに自身の小神殿も建て、外壁をカデシュの戦いの場面で飾った。最後の大きな造営は第30王朝ネクタネボ1世の神殿で、プトレマイオス朝以降、建物は荒廃に向かった。
建築的特徴
セティ1世神殿は石灰岩と砂岩で築かれ、通常の神殿が入口から一直線に奥へ進むのに対し、奥で直角に折れるL字形の平面をもつ。二つの多柱式広間の奥には、神格化された王自身と、プタハ、ラー・ホルアクティ、アメン、オシリス、イシス、ホルスに捧げた7つの祠堂が横一列に並ぶ。南翼へ抜ける「祖先の回廊」には、セティ1世と王子ラムセスが歴代の王に供物を捧げる場面とともに、76人の王名が刻まれている。白い石灰岩に施された浮彫は、新王国美術の最も洗練された作例の一つとされる。
神殿の背後、周囲の地盤より深く掘り下げた位置には、セティ1世のセノタフ(空墓)とみられるオシレイオンがある。巨大な石材で組まれた中央広間は、周りを水路に囲まれた「島」を中心にもち、王の墓を模した地下の構成をとる。地下水位の上昇により、現在は内部の多くが水に浸かっている。一方、シュネト・エズ=ゼビブの外壁は137×77メートル、高さ約12メートルに及び、王宮の正面を模した凹凸を刻む。約4700年を経てなお立ち続ける、日干し煉瓦の建造物として稀有な遺構である。
意義・現在
アビドスは、初期王朝の王墓からローマ時代の墓地まで、古代エジプト史のほぼ全期間にわたる痕跡を一か所に重ねる、きわめて重要な考古遺跡である。セティ1世神殿の王名表は、歴代の王の順序を復元するための基準資料として、エジプト学の基礎を支えてきた。19世紀のマリエットの調査に始まり、ペトリーらによる発掘が続き、2021年には前3100年ごろのものとみられるビール醸造施設も見つかっている。ユネスコ世界遺産の暫定リストに記載されている。