ポーランド北東部ビャウィストクに建つ18世紀のバロック宮殿。大貴族ヤン・クレメンス・ブラニツキが王宮にも比する壮麗な邸宅へ改築し、「ポーランドのヴェルサイユ」と称された。
§1 — 概要概要
ブラニツキ宮殿(Pałac Branickich)は、ポーランド北東部の都市ビャウィストクに建つバロック様式の宮殿である。ポーランド・リトアニア共和国の大ヘトマンであったヤン・クレメンス・ブラニツキが、18世紀前半にこれを壮麗な邸宅へと造り替えた。庭園・パヴィリオン・彫刻群を備えた宮殿と、教会や市庁舎を含む周辺の市街が一体的に整えられたことから、当時この地は「ポーランドのヴェルサイユ」と呼ばれた。
歴史
敷地にはもともと16世紀に築かれた煉瓦造の城館があったが、1690年代にティルマン・ファン・ガメレンによってバロックの邸館へ改造された。1726年以降、王位への野心を抱いた富裕な貴族ヤン・クレメンス・ブラニツキがこれを大規模に拡張し、ワルシャワ近郊のヴィラヌフ宮殿に比肩する大邸宅を目指した。1720年代末からはザクセン出身のヤン・ジグムント・ダイベルが工事を指揮し、破風や塔上のドームが加えられた。さらに1750年から1771年にかけてはヤクプ・フォンタナが改築を担い、前室やロココ様式の内装、彫像を伴う大階段を整えた。
建築的特徴
宮殿はクール・ドヌール(主庭)を囲む左右対称の構成をとり、主棟と翼棟、付属建築が軸線に沿って整然と配される。塔上のドームやペディメントの彫刻、庭園へ向かって開く立面には、フランスの城館を範とした宮廷バロックの趣が色濃い。内部は彫像を備えた大階段やロココ様式の諸室で飾られ、宮殿の背後にはパルテール(幾何学花壇)を中心とするフランス式庭園が広がる。
意義・現在
ブラニツキ家の断絶後、宮殿は教育・医療の機関などに転用され、第二次世界大戦で甚大な被害を受けたが、戦後に丹念に復元された。現在はビャウィストク医科大学の本館として使われ、復元された庭園とともに市の象徴となっている。地方都市に営まれた大貴族の宮廷文化を今に伝える、ポーランド・バロックを代表する遺構である。