ヴェネツィアのドゥカーレ宮殿と新牢獄を結ぶ、白い石灰岩の屋根付き橋。1600年頃にアントニオ・コンティンの設計で架けられた。裁きを受けた囚人が最後に外界を望んだ橋とされ、その詩的な名は19世紀に詩人バイロンが与えた。
§1 — 概要概要
ヴェネツィアの盛期ルネサンスから初期バロックへの移行期に架けられた、屋根付きの石橋。ドゥカーレ宮殿(総督宮)の取調室と、運河を挟んだ新牢獄(プリジョーニ・ヌオーヴェ)とを結ぶ。イストリア産の白い石灰岩でつくられ、石の格子を嵌めた小窓をもつ閉鎖的な通廊である。リオ・ディ・パラッツォの狭い水路をまたぐその姿は、ヴェネツィアでも指折りの絵画的な眺めとして知られる。
歴史
橋を設計したのは、リアルト橋を架けたアントニオ・ダ・ポンテの甥にあたるアントニオ・コンティンである。建設はドージェ・マリーノ・グリマーニの治世下、1600年頃に始まった。コンティンが1600年に没していることもあり、完成は1603年頃と伝えられる(建設年代には1600〜1603年の幅がある)。「ため息橋」という呼称は当時のものではなく、19世紀の詩人バイロンが、宣告を受けた囚人がこの橋を渡りながら漏らすため息を想像して名づけたものとされる。実際にこの橋を渡った者の多くは軽微な罪の囚人であり、伝説の悲壮さとは隔たりがあるが、名は広く定着した。
建築的特徴
橋は外気から遮断された二本の通路を内部にもち、宮殿側と牢獄側を行き来できるよう仕切られている。外壁は白い石灰岩で、渦巻や仮面をあしらった彫刻的な装飾と、石の桟を渡した小さな窓が穿たれる。曲線を帯びたまぐさと量感のある彫刻は、盛期ルネサンスの端正さよりも、運動感を求めるマニエリスムから初期バロックへの感性に近い。窓から望めるのは潟と運河のわずかな眺めにすぎず、その閉ざされた構造こそが、橋にまつわる物語を生んだ。
意義・現在
ため息橋は、ドゥカーレ宮殿と司法・行刑の機構とを物理的に結ぶ装置であり、ヴェネツィア共和国の統治のしくみを今に伝える遺構である。19世紀のロマン主義がこの橋に与えた物語は、文学・音楽・映画に繰り返し引用され、世界各地に同名の橋を生んだ。現在は宮殿見学の順路に組み込まれ、運河の橋上から仰ぎ見る景観は、ヴェネツィアを訪れる者の定番となっている。