EST. 2026 — Editorial Archive of Notable Architecture
エステンセ城
© Nbisi / CC BY-SA 4.0
FIG. 01 — Q1048836
様式 · ルネサンス建築 時代 · 中世 類型 · 城郭・要塞 ★ 世界遺産「フェラーラ:ルネサンス期の市街とポー川デルタ地帯」構成資産

エステンセ城 Castello Estense

Castello di San Michele

フェラーラの中心にそびえる、四隅に塔を構え堀をめぐらせた赤煉瓦の城。1385年、エステ家のニッコロ2世が市民の反乱を機にバルトリーノ・ダ・ノヴァーラへ命じて築かせ、のちに華麗なルネサンスの宮廷の館へと姿を変えた。

FIG. 02 — Location44.8376° N 11.6194° E
イタリア フェラーラ フェラーラ
§1 — 概要

概要

エステンセ城(Castello Estense、正式にはサン・ミケーレ城)は、フェラーラの中心に立つ、堀をめぐらせた中世の城である。四隅に塔を構える赤煉瓦の堂々たる姿は街の象徴で、エステ家がフェラーラを治めた拠点であった。当初は防御の要塞として築かれ、のちにルネサンスの宮廷の館へと姿を変えた、二つの時代を併せもつ建物である。

歴史

1385年5月、増税に憤ったフェラーラの民衆が蜂起し、徴税の責任者を群衆が八つ裂きにする騒乱が起きた。これに脅えた辺境伯ニッコロ2世・デステは、自らの宮廷を守る堅固な城の建設を決め、同年9月29日、聖ミカエルの祝日に礎石が据えられた。設計を委ねられたのは、宮廷建築家にして軍事技師のバルトリーノ・ダ・ノヴァーラである。彼は、市壁の一部であった古い見張り塔「獅子の塔」を取り込み、これにマルケザーナ、サン・パオロ、サンタ・カテリーナの三塔を加えて、厚い壁で結んだ四辺形の城を築き、外周には堀をめぐらせた。やがてエステ家の宮廷はこの城へ移り住み、軍事の役割は次第に退いて、一族の威信を示す館としての性格が前面に出てゆく。1554年の火災を機に、画家にして建築家のジローラモ・ダ・カルピが大改修を担い、城壁上の胸壁を白い大理石の欄干に替え、塔の頂にはブラマンテ風の見晴らし台(アルターナ)を載せた。1598年、嗣子を欠いたエステ家がフェラーラを教皇庁に明け渡してモデナへ移ると、城は教皇庁の代官の座所となった。

建築的特徴

城は、四隅の塔を分厚い壁体で結んだ四辺形をなし、二メートルほどの深さの堀に囲まれる。堀には跳ね橋が架かり、城門の前面は半月堡(半月堡)が守った。北東に立つ「獅子の塔」は四塔のうち最も古く、その地下には堀の高さに牢獄が穿たれている。ここは、辺境伯ニッコロ3世が、密通を知った息子ウーゴと後妻パリジーナを1425年に斬首させた悲劇の舞台として知られる。ルネサンス期の改装で城は宮廷の館へと整えられ、内部には「紋章の間」「曙の間」など、フレスコや格天井で飾られた華やかな広間が連なる。

意義・現在

エステンセ城は、市民を抑える要塞として生まれながら、エステ家の文化的な栄華のもとで洗練された宮廷へと姿を変えた、稀有な建物である。その歩みは、防御の塔と堀に、ルネサンスの欄干と見晴らし台が重なる現在の姿にそのまま読み取れる。一族の退去ののちは行政の座所として用いられ、今日はガエ・アウレンティの設計による博物館を兼ねる。フェラーラが「ルネサンスの都市」としてユネスコ世界遺産に登録される、その中心の記念物であり、獅子の塔の頂からは、赤煉瓦の街並みとエルコレの拡張地区、城壁までが一望できる。

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LAST EDIT — 2026.06.21
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