EST. 2026 — Editorial Archive of Notable Architecture
救世主ハリストス大聖堂
© Alvesgaspar / CC BY-SA 3.0
FIG. 01 — Q194474

救世主ハリストス大聖堂 Cathedral of Christ the Saviour

Храм Христа Спасителя

モスクワ川左岸に建つロシア正教会最大の聖堂。ナポレオン戦争の勝利を記念して1839年に着工し、ロシア・ビザンティン様式の壮大な五ドーム聖堂として1883年に完成した。1931年にスターリンによって爆破され、1990年代に原設計どおり再建された。

FIG. 02 — Location55.7444° N 37.6056° E
ロシア モスクワ モスクワ
§1 — 概要

概要

救世主ハリストス大聖堂(Храм Христа Спасителя)は、モスクワ川の左岸、クレムリンの南西に建つロシア正教会の大聖堂である。高さは十字架を含めて約103メートルに達し、現存する正教会の聖堂としては世界最大級の規模を誇る。1812年のナポレオン軍撃退を記念する戦勝記念聖堂として構想され、建築家コンスタンチン・トーンによるロシア・ビザンティン様式の代表作となった。ただし現在の建物は19世紀の原建築そのものではなく、ソ連時代に破壊されたのち1990年代に再建されたものである。

歴史

皇帝アレクサンドル1世は、ナポレオンがモスクワから撤退した1812年末、神への感謝と国民の犠牲への記念として聖堂建立を宣言した。当初の新古典主義案は地盤の問題などで頓挫し、敬虔な正教徒であった次帝ニコライ1世が、自らの好む建築家トーンに新たな設計を委ねた。トーンの案は1832年に承認され、クレムリンに近い新たな敷地で1839年に礎石が据えられた。建設は40年余りに及び、内部の壁画にはクラムスコイやスリコフら当代一流の画家が加わって、1883年、アレクサンドル3世の戴冠と同じ日に成聖された。

しかし革命後の反宗教運動のなかで、1931年、スターリンの命により聖堂は爆破された。跡地には巨大なソビエト宮殿が計画されたが、資金難と独ソ戦で実現せず、1958年からは世界最大級の屋外プールが置かれた。ソ連解体後、正教会と市民の運動によって再建が決まり、1995年に着工。トーンの原設計に基づきつつ現代の材料と工法で建て直され、2000年に成聖された。

建築的特徴

平面は四方の腕の長さがほぼ等しいギリシア十字を基本とし、その上に立方体の身廊を重ねる。中央に金色の巨大なクーポラ(円蓋)を戴き、四隅に小さなドームを配する五ドーム形式をとる。各面は柱列とアーチで分節され、半円形のココーシュニクが軒を飾る。白い石壁と金のドームによる明快で対称的な構成は、トーンが範としたイスタンブールのハギア・ソフィアの記憶と、ロシア中世の聖堂の伝統を折衷したものである。内部は1812年戦争の戦勝記念空間でもあり、回廊の壁面には大理石の銘板が連なって戦役の指揮官や部隊が刻まれていた。再建にあたっては、原作の大理石高浮彫がツェレテリによる青銅製のレリーフに置き換えられるなど、いくつかの改変も加えられている。

意義・現在

救世主ハリストス大聖堂は、帝政ロシアの国家的・宗教的記念碑であると同時に、その破壊と再建の歴史によって20世紀ロシアの宗教と国家の関係を映し出す建造物となった。爆破は無神論を掲げたソ連体制を、再建はソ連解体後のロシア正教会の復権を、それぞれ可視化している。現在はロシア正教会の中心的な聖堂として大規模な礼拝が営まれ、2000年にはニコライ2世とその一家の列聖が、2007年には初代ロシア大統領エリツィンの葬儀がここで行われた。モスクワ中心部のスカイラインを画する金色のドームは、街の象徴の一つとなっている。

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LAST EDIT — 2026.06.25
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