EST. 2026 — Editorial Archive of Notable Architecture
フリードリヒシュタット=パラスト
© Arbalete / Public domain
FIG. 01 — Q565670
様式 · ポストモダン建築 時代 · 現代 類型 · 文化施設 ★ ベルリン州指定建造物(Baudenkmal、2020年指定。ベルリン文化財ID 09065000)

フリードリヒシュタット=パラスト Friedrichstadt-Palast

Friedrichstadt-Palast

ベルリン・ミッテ、フリードリヒ通りに建つ欧州最大のレヴュー劇場。1919年のポエルツィヒによる表現主義劇場の名を継ぎ、東ドイツ最後の大型建築として1984年に開場した、世界最大の舞台をもつポストモダンの殿堂である。

FIG. 02 — Location52.5239° N 13.3881° E
ドイツ ミッテ区 ベルリン
§1 — 概要

概要

ベルリン中心部のミッテ区、フリードリヒ通り107番地に建つレヴュー劇場である。約1,900席の大ホールと世界最大級の舞台をもち、ヨーロッパ最大のレヴュー劇場として知られる。今日の建物は1984年に開場した二代目で、1919年に同名の前身が築いた興行の伝統を引き継ぐ。建物と劇団・組織の双方が、この名で呼ばれる。

歴史

起源は19世紀にさかのぼる。フリードリヒ・ヒッツィヒの設計で1865〜67年に建てられたベルリン初の市場ホールが、のちにサーカス小屋へと転用された。1919年、演出家マックス・ラインハルトの依頼で建築家ハンス・ポエルツィヒがこれを大改装し、「大劇場(Großes Schauspielhaus)」が生まれる。ドーム天井から鍾乳石のような飾りが垂れ下がる表現主義の内部は「鍾乳洞」と呼ばれ、色光に満ちた幻想的な空間は20世紀初頭の劇場建築を代表する傑作とされた。1920年代にはエリク・シャレルのレヴューで沸き、ナチス期には装飾を剥がされて「民衆劇場」と改称された。

戦後の1945年に演芸場として再開し、1947年に国有化されて現在の名「フリードリヒシュタット=パラスト」を得る。だが木杭の上に築かれた巨大な建物は、近隣の工事に伴う地下水位の低下で基礎が傷み、1980年に閉鎖、1985年に解体された。解体されてゆく姿は、日本の写真家・宮本隆司によって記録されている。

建築的特徴

現在の建物は、わずか数百メートル離れたフリードリヒ通りに1981〜84年に建設され、1984年4月27日、東ドイツ(ドイツ民主共和国)最後の大型建設事業として開場した。設計はマンフレート・プラッサー、ヴァルター・シュヴァルツ、ディーター・バンケルトの設計集団による(施工指揮はエアハルト・ギスケ)。当初の鉄・ガラス・アルミニウムの構想は費用の都合で見直され、東ドイツのプレハブパネル工法(プラッテンバウ)による鉄筋コンクリート造として実現した。砂岩色のコンクリートパネルで覆われた外皮に、フリードリヒ通り側の正面棟では色ガラスブロックの装飾が添えられ、無機質な社会主義建築のなかでひときわ華やいだ独自の意匠をなす。南北の壁面には、サーカス・劇場・演芸というこの場所の歴史を主題とするエミリア・N・バイヤーのレリーフが据えられた。

大ホールは1,895席を備え、舞台床面積2,854平方メートルは世界最大、幅24メートルのプロセニアムはヨーロッパ最大を誇る。せり上がる水盤など最新の舞台機構をそなえ、南側には240席の小劇場「クライネ・レヴュー」を併設する。

意義・現在

旧館の表現主義の名作とは対照的に、現在の建物はしばしば「東ドイツのポストモダン」を代表する建築として語られる。冷戦下に体制が娯楽の殿堂へ注いだ国家的事業であり、東西に分かれたドイツの歴史を映す象徴でもある。2015年にはラインハルト、ポエルツィヒ、シャレルを記念するモニュメントが劇場前に置かれ、2020年には現建物自体がベルリン州の文化財(建造物)に指定された。世界最長級のキックラインで知られるバレエ団を擁し、現在も年間を通じて大規模なショーを上演する現役の劇場である。

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LAST EDIT — 2026.06.21
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