西安の旧城内、回族の住む回坊に建つ中国最大級の歴史的モスク。唐代創建の伝承をもち、現在の伽藍は明の洪武年間以降に整えられた。木造の殿閣と院落を東西の軸線上に連ね、中国建築の形式でイスラームの礼拝空間をつくり上げている。
§1 — 概要概要
西安大清真寺(Great Mosque of Xi'an / 西安清真大寺)は、陝西省西安市の旧城内、鼓楼の北西にひろがる回族の居住地区(回坊)の化覚巷にあるモスクである。所在地にちなんで化覚巷清真大寺、また近くの大学習巷清真寺を「西大寺」と呼ぶのに対して「東大寺」とも呼ばれる。敷地は約1万2300平方メートルにおよび、中国に残る前近代のモスクとして最大級の規模をもつ。
この寺の特色は、礼拝の方角や設備といったイスラームの要件を満たしながら、建物そのものを中国の伝統的な木造建築で組み立てている点にある。ドームも、高く伸びる塔もない。瑠璃瓦を葺いた殿堂、楼閣、亭、牌楼が樹木の茂る院落のなかに並び、一見すると中国の寺廟と変わらない。イスラーム建築が中国の土地で土着化した姿を、まとまった規模で伝える代表例である。
歴史
創建については、唐の玄宗の天宝元年(742年)とする伝承がある。国際都市であった長安には西方から来た商人や職人が多く住んでおり、寺に伝わる碑文はこの年に礼拝の場が設けられたと記す。ただし唐代の建物は残っておらず、創建年は確かめられていない。碑文は宋・元代にも修築が重ねられたことを伝え、寺には宋代のものとされる扁額も残る。
現在の伽藍の骨格は明代に形づくられた。地誌『西安府志』は洪武25年(1392年)の建立と記し、明朝の後援のもとで再建が進められた。その後も明の成化・嘉靖・万暦年間、清の乾隆年間などに修築や拡張が続き、万暦34年(1606年)と乾隆33年(1768年)の修築を記す碑が今も境内に立つ。入口側の前院は清代に加えられた部分である。
1956年に陝西省の文物保護単位に指定された。文化大革命の時期には宗教活動が止められ、境内は工場に転用された。1970年代末に礼拝が再開され、1988年には全国重点文物保護単位(第3批)に指定されている。
建築的特徴
中国の宮殿や寺院の多くが南を正面とするのに対し、この寺はメッカの方角(キブラ)に合わせて西を奥とし、東の入口から西の礼拝殿まで一本の軸線が通る。軸線上には塀と門で仕切られた四つの院落が連なり(入口の前庭を加えて五つと数えることもある)、奥へ進むほど礼拝の中心に近づく。中国の院落配置の論理はそのままに、全体の向きを礼拝の方角に合わせて組み替えた構成といえる。

前院には照壁と木造の牌楼が立ち、第二院には明代の石造の牌坊と、先の万暦・乾隆の修築を記す二基の碑が並ぶ。第三院の中央に立つ省心楼は八角形の平面に屋根を重ねた楼閣で、礼拝の呼びかけに用いられたとみられ、中国式の外観をまとったミナレットにあたる。第四院の一真亭(鳳凰亭)は、六角形の亭の左右に翼のような屋根を張り出した特異な形をもち、軒下には斗栱が密に組まれている。


最奥の礼拝殿は、前面に広い月台(殿堂の前に張り出した壇)を備えた木造の大殿で、青緑の瑠璃瓦を葺く。前面の廊、礼拝室、奥の窯殿の三つを前後につなげた凸字形の平面で、約1300平方メートルの内部に千人を収める。西の奥壁にミフラーブを設け、その傍らにミンバルを置く。壁を覆う木の板にはクルアーンの章句がアラビア文字で刻まれ、天井には藻井を組む。装飾は植物文様と文字に限られ、人や動物の姿を描かないイスラームの規範が守られている。境内の扁額や碑には漢字とアラビア文字が併用され、毛筆の筆致で書かれた中国独特のアラビア書体も見られる。

意義・現在
中国のモスクには、泉州の清浄寺のように西アジアの石造建築の形式を持ち込んだものと、中国の木造建築の形式で建てられたものがある。西安大清真寺は後者の大規模な例で、明清期に中国西北部の各地に建てられた清真寺と同じ系譜に属する。外来の宗教が既存の建築体系のなかに居場所を見いだした過程を、配置・構造・装飾の各層で読み取れる点に、この寺の建築史上の価値がある。
現在も回族を中心とするムスリムの礼拝の場として使われている。観光客は有料で院落と庭園を見学できるが、礼拝殿の内部に入れるのはムスリムに限られる。寺を囲む回坊は、飲食店や露店が軒を連ねる西安有数のにぎわいの場となっている。