ローマのサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ広場に立つ、現存する古代エジプト最大のオベリスク。前15世紀のテーベで切り出され、4世紀にローマへ運ばれた後、1588年にフォンターナが再建立した。
§1 — 概要概要
ラテラノ・オベリスク(Obelisco Lateranense)は、ローマのサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂前の広場に立つオベリスクである。一本の赤色花崗岩から成る単一石柱で、軸部の高さは約32メートル、台座を含めると45メートルを超える。現存する古代エジプトのオベリスクとしては世界最大であり、イタリアに立つオベリスクの中でも最も高い。元来は古代エジプトの神殿を飾った記念柱であり、ローマへ運ばれて現在地に据えられた、二つの時代をまたぐ遺物である。
歴史
石柱が刻まれたのは紀元前15世紀、第18王朝のトトメス3世の時代にさかのぼる。当初はテーベ(現ルクソール)のカルナック神殿、アメン大神殿の前に立てられた。4世紀、ローマ皇帝コンスタンティウス2世は357年にこれをローマへ運ばせ、大競技場(チルコ・マッシモ)に据えた。やがて帝国の衰退とともに倒壊・埋没し、長く失われていたが、1587年に三つに折れた状態で掘り出された。教皇シクストゥス5世の命を受けた建築家ドメニコ・フォンターナが、翌1588年に現在のラテラノ広場へ再建立した。再建立にあたって損傷部を切り詰めたため、当初およそ413トンあった重量は約300トンに減じ、高さも数メートル低くなったとされる。
建築的特徴
形態は古代エジプトのオベリスクの典型に従い、下方から上方へわずかに細り、頂部はピラミディオンと呼ばれる小さな角錐で閉じられる。四面にはトトメス3世・4世の事績をたたえるヒエログリフが刻まれている。フォンターナによる再建立は、巨大な単一石材を起こす当時の土木技術の到達点を示すもので、彼が数年前に手がけたサン・ピエトロ広場のオベリスク移設の経験が生かされた。石柱はキリスト教的な意味づけを与えられ、頂部には十字架が据えられている。
意義・現在
このオベリスクは、古代エジプトの記念碑がローマ帝国の戦利品として運ばれ、さらに対抗宗教改革期の教皇都市ローマで再解釈されるという、地中海世界における記念物の移動と転用の歴史を一身に体現している。シクストゥス5世が市内各所のオベリスクを巡礼の目印として再配置した都市計画の一環でもあった。現在はラテラノ大聖堂とともに、ローマの宗教的中枢を示す景観の核をなしている。