オルサンミケーレ聖堂 Orsanmichele
フィレンツェ歴史地区に建つ、穀物市場・穀倉・聖堂を兼ねた特異な建築。1337年に再建が始まり、外壁の壁龕にはギベルティやドナテッロらがフィレンツェの同職組合の守護聖人像を刻んだ。
§1 — 概要概要
オルサンミケーレ(Orsanmichele)は、イタリア・フィレンツェの歴史地区、ドゥオモとシニョリーア広場を結ぶ目抜き通りに建つ建築である。「サン・ミケーレの菜園(Orto di San Michele)」の縮約に名を由来し、穀物市場・穀倉・聖堂という三つの機能を一棟に併せ持つ点で類を見ない。外壁の壁龕を飾る守護聖人像の群像と、内部のオルカーニャによる聖龕は、ゴシックから初期ルネサンスへ移る彫刻史の頂点として名高い。
歴史
この場所には古くサン・ミケーレに捧げられた小聖堂と菜園があった。1284年に穀物市場のロッジアを建てる決定がなされ、1290年にロッジアが完成する。その造営はフィレンツェ大聖堂造営局を率いたアルノルフォ・ディ・カンビオの指揮と伝えられる。1304年の市内抗争による火災で焼失したのち、1336年に市は宗教と社会の機能を兼ねる壮麗な建物の再建を決議し、1337年から工事が始まった。フランチェスコ・タレンティ、ネリ・ディ・フィオラヴァンテ、ベンチ・ディ・チョーネらがカポマエストロとして関わり、内部にはアンドレア・オルカーニャが1352年から1359年にかけて壮麗な聖龕を築いた。1380年から1404年にかけて、開いていた一階のアーチを塞いで聖堂とし、上階を穀倉とする現在の姿が定まった。
建築的特徴
方形平面の三層構成で、一階はかつてのロッジアのアーチを石とトレーサリーの大窓で閉じた聖堂、上の二層は穀倉にあてられた。外壁の各面には深い壁龕が並び、フィレンツェの主要な同職組合(アルティ)がそれぞれ守護聖人像を寄進した。ロレンツォ・ギベルティの《洗礼者ヨハネ》は記念碑的なブロンズ像の先駆けであり、ドナテッロの《聖ゲオルギウス》、ナンニ・ディ・バンコの《四聖人》などが、ゴシックの様式から人体把握の新しさへ踏み出す姿を示している。
意義・現在
市場・倉庫・聖堂という世俗と信仰の機能が一棟に同居する構成は、中世フィレンツェの都市共同体のあり方そのものを建築に映している。壁龕の彫刻群は風化を避けるため多くが館内や美術館に移され、外壁には複製が置かれている。建物はフィレンツェ歴史地区の一部として世界遺産に含まれ、上階は彫刻を展示する美術館として公開されている。