EST. 2026 — Editorial Archive of Notable Architecture
ホワイトホール宮殿
© Hendrick Danckerts / Public domain
FIG. 01 — Q391620

ホワイトホール宮殿 Palace of Whitehall

Palace of Whitehall

ロンドンのウェストミンスターにあった、イングランド王の主たる宮殿。1530年にヘンリー8世が取得して以来1698年の大火まで王の居所であり、最盛期には1500室を超える欧州最大級の宮殿であった。イニゴー・ジョーンズのバンケティング・ハウスのみが焼け残り、現存する。

FIG. 02 — Location51.5044° N 0.1256° W
イギリス グレーター・ロンドン ロンドン
§1 — 概要

概要

ホワイトホール宮殿は、ロンドンのウェストミンスター、テムズ川左岸に広がっていたイングランド王の主たる宮殿である。1530年から1698年までイングランド君主の本拠とされ、最盛期には1500を超える部屋をもつ、当時の欧州で最大級の宮殿であった。1698年の火災でその大部分を失い、現在はイニゴー・ジョーンズ設計のバンケティング・ハウス(1622)のみが残る。一帯は今もホワイトホールと呼ばれ、英国政府の中枢が集まる地区となっている。

歴史

起源は中世のヨーク・プレイス、すなわちヨーク大司教のロンドン邸であった。1529年に失脚したウルジー枢機卿からヘンリー8世がこれを接収し、近隣のウェストミンスター宮殿の居住区が焼失したことを受けて、1530年に王の居所として大規模に拡張した。歴代の王はテニスコート、闘鶏場、庭園などを加え、宮殿は無秩序に増殖していった。17世紀にはジェームズ1世のもとでイニゴー・ジョーンズがバンケティング・ハウスを建て、1649年にはその前でチャールズ1世が処刑された。ステュアート朝の宮廷生活の舞台となったが、1698年、火の不始末から出た火災が宮殿をほぼ全焼させ、バンケティング・ハウスを除いて宮殿は失われた。

建築的特徴

本体をなしたのは、赤煉瓦と石を組み合わせたテューダー様式の雑多な建築群であり、増改築を重ねたため統一的な構成をもたなかった。これに対し、イニゴー・ジョーンズのバンケティング・ハウスは、イタリアで学んだパッラーディオの厳格な比例体系を初めて本格的にイングランドへ導入した建築として際立つ。基壇の上にコリント式と複合式のピラスターを重ね、ルスティケーションを施した石造ファサードは、それまでの英国建築とは異質の古典的明晰さをもつ。室内の大広間にはルーベンスによる天井画が架けられた。

意義・現在

ホワイトホール宮殿は、テューダー・ステュアート両朝の政治と宮廷文化の中心であり、その名は宮殿の消滅後も英国行政の代名詞として生き続けている。とりわけバンケティング・ハウスは、イングランド古典主義建築の出発点として建築史上きわめて重要であり、ジョーンズを介して導入されたパッラーディオ式は、のちの英国建築を長く規定した。バンケティング・ハウスは現在、博物館として一般に公開されている。

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LAST EDIT — 2026.06.29
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