イタリア、リミニの大聖堂。13世紀のゴシック聖堂を、領主シジスモンド・マラテスタの霊廟として、1450年頃にレオン・バッティスタ・アルベルティが古典様式の外観で包んだ。ローマの凱旋門に倣った正面をもつ、初期ルネサンス建築の記念碑である。未完。
§1 — 概要概要
テンピオ・マラテスティアーノ(Tempio Malatestiano、「マラテスタの神殿」の意)は、イタリア北東部の都市リミニにある大聖堂である。もとは13世紀のゴシック様式のフランチェスコ会聖堂サン・フランチェスコであったが、15世紀半ば、リミニの領主シジスモンド・パンドルフォ・マラテスタの命によって、レオン・バッティスタ・アルベルティの設計のもと、古典様式の建築へと改装された。初期ルネサンス建築を代表する一作でありながら、完成を見ないまま今日に至る。
歴史
傭兵隊長(コンドッティエーレ)として名を馳せたシジスモンド・マラテスタは、この聖堂を、自らと愛人イゾッタ・デリ・アッティ、そして一族と宮廷の人文学者たちのための霊廟に変えようと構想した。内部の礼拝堂の工事は1447年頃に始まり、外観の設計は1450年頃、アルベルティに託された。アルベルティは現場には常駐せず、書簡で指示を与え、施工はヴェローナ出身のマッテオ・デ・パスティが監督した。礼拝堂の浮彫は、アゴスティーノ・ディ・ドゥッチョらが手がけている。
しかし1460年にシジスモンドが破門されると、その勢威は急速に衰え、工事は止まった。正面上部や、背後に計画されていた大円蓋は、ついに築かれなかった。1468年のシジスモンドの死の時、聖堂は未完のまま残された。第二次世界大戦中の空襲で大きな損傷を受けたが、戦後に修復されている。
建築的特徴
アルベルティは、古いゴシックの聖堂を壊さず、その外側を古典様式の「殻」で包むという手法をとった。正面は、ローマの凱旋門に倣った構成をもつ。中央の大きなアーチを左右の低いアーチが挟み、付柱(ピラスター)とエンタブレチュアが全体を律する。これは、リミニに現存する古代ローマのアウグストゥス門などに範を仰いだものである。側面には、白いイストリア産の石による半円アーチが連なり、まるで古代の水道橋のような律動をきざむ。そのアーチの下は、人文学者たちの石棺を収めるために設けられた。古代を範としつつ教会の正面をいかに構成するかという、ルネサンスの建築家たちが取り組んだ課題に、ここで一つの答えが示された。
意義・現在
テンピオ・マラテスティアーノは、アルベルティにとって最初の本格的な建築であり、また、古典の理念にもとづいて構想された最初期の教会正面の一つでもある。建築の正規の訓練を受けていなかった人文学者アルベルティが、古代建築の原理を一個の建物として結晶させた点に、この聖堂の意義がある。異教的な意匠と一族の記憶に満ちたその姿は、当時から賛否を呼んだ。現在もリミニの大聖堂として用いられ、未完のままに、初期ルネサンスの理想と現実とを今に伝えている。