アスキアの墓 Tomb of Askia
マリ東部の都市ガオにある、ソンガイ帝国の皇帝アスキア・ムハンマド1世の墓廟。15世紀末に日干し煉瓦と泥で築かれた高さ17メートルのピラミッド状の塔を中心にモスクや墓地を含む複合体で、スーダン=サヘル様式の初期の記念碑とされる。
§1 — 概要概要
アスキアの墓(Tombeau des Askia)は、マリ東部、ニジェール川沿いの都市ガオにある墓廟複合体である。15〜16世紀に西アフリカで最大の版図を誇ったソンガイ帝国の皇帝、アスキア・ムハンマド1世(在位1493〜1528年)の埋葬地と考えられている。中心をなす高さ17メートルのピラミッド状の塔は、植民地化以前のガオに残る最大の建造物である。西アフリカ・サヘル地帯の記念碑的な土の建築の伝統を示す作例として、2004年にユネスコの世界遺産に登録された。
歴史
アスキア・ムハンマド1世は先代ソンニ・アリに仕えた将軍で、1493年に王位を奪って新たな王朝を開いた。1496年にメッカ巡礼へ出発し、2年近くを経て帰還すると、イスラームを帝国統治の柱に据えた。墓廟の建造年について、ユネスコの登録資料は1495年とする一方、同じ資料で複合体の整備を巡礼からの帰還後とも記しており、15世紀末という以上に年代を絞ることは難しい。巡礼の隊商が土や木材をメッカから運んだという伝承も残る。
ムハンマドは1528年に子のムーサによって廃位され、1538年に没した。塔の内部は家屋のように複数の部屋と通路をもつ構成で、埋葬の後に封じられたと伝えられる。塔の中に葬られたのは彼ひとりで、後継のアスキアたちは中庭に葬られた。
20世紀以降も手が加えられている。1960年代と1970年代半ばにモスクの建物が拡張され、1999年には敷地を囲む塀が築かれた。2000年代初めには電気が引かれ、天井の扇風機や照明、塔上の拡声器が設けられた。
建築的特徴
複合体は、ピラミッド状の塔、平屋根をもつ二つのモスク、モスクの墓地、屋外の集会広場から成る。塔は日干し煉瓦を積み上げて泥で塗り固めたもので、角の丸い段状の輪郭をもち、エジプトのピラミッドのような鋭い幾何学とは異なる柔らかな塊として立ち上がる。壁面からは無数の木の杭であるトロンが突き出し、塔の表面に規則的な陰影を刻む。
トロンは、雨季の豪雨で削られた泥の上塗りを繰り返し補修する際、職人が登る恒久的な足場となる。土の建築は放置すれば崩れるが、共同体による定期的な塗り直しを前提とすることで、この墓廟は500年余りにわたって形を保ってきた。こうした構法と、塔・モスク・墓地・広場を組み合わせた構成は、のちに西アフリカ一帯へ広がるスーダン=サヘル様式の特徴を早い段階で示すものとされる。
意義・現在
アスキアの墓は、サハラ交易による塩と金の富を背景に栄えたソンガイ帝国の力を伝える遺構であり、いまも礼拝の場、そしてガオの市民にとっての文化的な中心として使われている。2003年にマリの国家遺産リストに記載され、周囲の緩衝地帯も市の条例で保護されている。
2012年、マリ北部の武力紛争でガオが武装勢力に占拠されると、ユネスコの世界遺産委員会はマリ政府の要請を受けて本遺産を危機遺産リストに加えた。近年は気候変動に伴う豪雨も土の建物を傷め、とくに男性用の礼拝空間が雨水による浸食を繰り返し受けている。マリの文化遺産局はフランスの土建築研究機関CRAterreと協力して修復計画を進めているが、治安の悪化のため現地での作業は限られ、危機遺産リストへの記載は続いている。
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