EST. 2026 — Editorial Archive of Notable Architecture
トレヴィの泉
© NikonZ7II / CC BY-SA 4.0
FIG. 01 — Q185382

ローマ、トレヴィ地区の後期バロックを代表する巨大噴水。古代の水道アクア・ヴェルジネの終端を飾り、ニコラ・サルヴィの設計で1732年に着工、1762年に完成した。海神オケアノスを中心に、宮殿の壁面と一体となって都市の一角を劇場に変える。

FIG. 02 — Location41.9008° N 12.4831° E
イタリア ラツィオ州 ローマ
§1 — 概要

概要

ローマのトレヴィ地区にある、市内最大にして後期バロックを代表する噴水である。高さ約26メートル、幅約49メートルにおよぶ巨大な構成は、背後のパラッツォ・ポーリの壁面と一体に築かれ、狭い広場の一角をまるごと舞台に変えている。古代ローマの水道を引き継ぐアクア・ヴェルジネの終端を飾る「水の見せ場(モストラ)」であり、コインを投げ入れると再びローマを訪れられるという言い伝えとともに、世界で最も知られた噴水の一つとなっている。

歴史

この場所は、前19年にアグリッパが築いた水道アクア・ウィルゴ(のちのアクア・ヴェルジネ)の終端にあたり、古くから水の供給口として噴水が設けられてきた。17世紀には教皇ウルバヌス8世がベルニーニに新たな設計を求めたが、計画は実現しなかった。1730年代、教皇クレメンス12世が催したコンペを経て、ローマの建築家ニコラ・サルヴィ(Nicola Salvi)が設計者に選ばれ、1732年に工事が始まる。

サルヴィは1751年、泉の半ばで世を去った。完成までの道のりは長く、彫刻家たちの仕事を経て、建築家ジュゼッペ・パンニーニ(Giuseppe Pannini)が事業を引き継ぎ、1762年、教皇クレメンス13世のもとで落成にこぎつけた。中央の海神オケアノス像は彫刻家ピエトロ・ブラッチの手になる。なお、広場の脇に置かれた壺形の装飾は、工事中にサルヴィを批判し続けた理髪師の視界をさえぎるために据えられたという逸話が残り、「アッソ・ディ・コッペ(聖杯のエース)」と呼ばれている。2015年には、イタリアのファッションメゾン、フェンディの出資で大規模な修復が行われた。

建築的特徴

背後のパラッツォ・ポーリには、二層を貫く巨大なコリント式の付柱が与えられ、その中央に凱旋門を思わせる構えが重ねられている。主題は「水の制御」である。中央の張り出した壁龕(エクセドラ)には、貝殻の戦車に乗る海神オケアノス(ネプトゥーヌスではない)が立ち、二体のトリトンが海馬(ヒッポカンポス)を御している——一方は荒れた海を、他方は穏やかな海を表す。両脇の壁龕には「豊穣」と「健康」の寓意像が配され、上部の浮彫りは水道の由来を物語る。素材は、ローマ近郊ティヴォリ産のトラバーチンである。建築・彫刻・水の流れが渾然と融け合い、街路の一隅を劇的な情景へと変える、バロックの舞台装置というべき作例である。

意義・現在

トレヴィの泉は、噴水や広場をも劇場として構成したローマ・バロックの都市演出の到達点であり、しばしばこの様式の掉尾を飾る記念碑とされる。それを潤すのは、今も生きる古代の水道である——古代ローマの土木と、近世の芸術とが、一つの情景のなかで結ばれている。映画『ローマの休日』をはじめ数々の作品に登場し、観光の象徴ともなった。後期バロックの華やかさの極みにありながら、その明晰な構成には、続く新古典主義の到来を予感させるものもある。

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LAST EDIT — 2026.06.22
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