モンソロー城現代美術館 Château de Montsoreau-Museum of Contemporary Art
ロワール川の河床に直接建つ唯一のロワール城館。1450年ごろシャルル7世の側近ジャン2世・ド・シャンブが築き、軍事建築から居住の快適さへ向かう転換点となった。2016年から現代美術館として、アート・アンド・ランゲージのコレクションを収める。
§1 — 概要概要
モンソロー城は、フランス西部メーヌ=エ=ロワール県、ロワール川とヴィエンヌ川の合流点のすぐ下流に建つ城館である。アンジュー、ポワトゥー、トゥーレーヌという三つの歴史的地域が接する境界に位置する。ロワール渓谷の城館のうち、川の河床に直接基礎を下ろした唯一の例で、19世紀初頭に川沿いの道路が通されるまでは、正面の壁が直接水に洗われていた。2016年からは現代美術館として使われている。
歴史
岩山の上には10世紀末から城砦があった。990年ごろブロワ伯ウード1世が要塞化し、まもなくアンジュー伯領となる。1152年と1156年にはイングランド王ヘンリー2世に攻め落とされており、中世を通じてこの岩は軍事上の要地であり続けた。
現在の建物は15世紀半ばの産物である。1450年、負債を抱えたルイ2世・シャボが所領を義弟ジャン2世・ド・シャンブに譲った。シャンブはシャルル7世の第一侍従・顧問を務め、ジャック・クールと組んで財を築いた人物で、ヴェネツィアやトルコへの使節も務めている。主屋と、それを挟む二基の方形塔は1450年から建てられ、工事は10年ほど続いた。ロワールの城館群の多くに半世紀先んじる時期である。
17世紀以降、城は衰退する。フランス革命後は売却されて所有者が転々とし、19世紀末には石切場同然に荒れ果てた。1862年に歴史的記念物に指定され、1923年から第二次世界大戦まで、および1997年から2002年にかけて大規模な修復が行われた。1957年から1997年まではモロッコ植民地軍の博物館が置かれていた。2015年、県は収集家フィリップ・メアイユと25年の長期賃借契約を結び、翌2016年4月8日、現代美術館が開館した。
建築的特徴
全体が白色のテュフォーで築かれている。石は工事現場のすぐ脇の崖から掘り出され、比較的小ぶりな寸法に切られた。内壁に刻まれたローマ数字は石工の記号ではなく石の高さを示すもので、工程が細かく管理されていたことをうかがわせる。屋根はアンジェ産のスレートで葺かれる。
川に向かう北面は、二基の方形塔がわずかに前へ出て厳しい構えを見せるが、その表情は大ぶりの十字桟窓によって和らげられている。防御装置は深い堀、わずかな矢狭間、そしてマチコレーションを伴う胸壁に限られ、しかもその胸壁には三葉形のアーチが飾りとして並ぶ。城壁でありながら意匠が優先されているのである。内部には当初から25基の暖炉と、窓辺に腰掛けを備えた大きな開口があり、居住性への配慮が際立つ。
1515年から1530年ごろ、中庭側の入隅に八角形の階段塔が加えられた。開口の上に四段の窓を積み重ねて垂直性を強調し、メダイヨンと渦巻文をイタリア風に彫り込む。頂部は八本のリブが中心柱へ集まるヤシ状のヴォールトで閉じられる。ゴシックから初期ルネサンスへの過渡を示す、ルイ12世期末の意匠である。
意義・現在
モンソローは、要塞から「住まうための城館」への転換を早い時期に示した建物として位置づけられる。軍事的な語彙をなお身にまといながら、採光・暖房・衛生への配慮を優先した点で、その後のロワール城館の系譜を先取りしている。城はアレクサンドル・デュマの小説『モンソローの奥方』の舞台としても知られ、ターナーやロダンも図像を残した。
現在の館内には、フィリップ・メアイユが集めたコンセプチュアル・アート集団アート・アンド・ランゲージの作品群が常設展示されている。中世の城館に20世紀後半の言語的な作品を置くという組み合わせは異例だが、改修工事の過程で15世紀の暖炉が新たに発見されるなど、建物の調査は継続している。城はユネスコ世界遺産「ロワール渓谷」の構成資産の一部である。