イングランド中部の大聖堂。1940年の空襲で中世の聖堂が焼け落ち、その廃墟を残したまま、バジル・スペンス設計の新聖堂が隣に築かれた(1962年聖別)。破壊と和解を主題とする戦後モダニズムの記念碑である。
§1 — 概要概要
コヴェントリー大聖堂(Coventry Cathedral)は、イングランド中部ウェスト・ミッドランズのコヴェントリーに建つ聖公会の大聖堂で、正式には聖ミカエル大聖堂(St Michael's Cathedral)という。1940年の空襲で中世以来の旧聖堂が焼け落ち、その廃墟をあえて残したまま、隣接地にバジル・スペンス(Basil Spence)設計の新聖堂が築かれた。破壊と和解を主題に掲げるこの構成は、戦後モダニズムを代表する記念碑として世界的に知られる。
歴史
もとは14世紀に建てられた教区教会であり、1918年に司教座が置かれて大聖堂に昇格した。1940年11月14日の夜、第二次世界大戦下のドイツ軍による大規模な空襲(コヴェントリー・ブリッツ)で市街は壊滅し、聖堂も塔と尖塔を残してほぼ全焼した。被災の翌朝には早くも再建の決意が表明され、廃墟は復讐ではなく赦しの象徴として保存されることとなった。1950年に行われた設計競技には200点を超える案が寄せられ、バジル・スペンスの案が選ばれた。彼は焼け残った旧聖堂の廃墟を「記憶の庭」として残し、その傍らに新聖堂を直交させて配する構想を示した。1956年3月23日、エリザベス2世によって礎石が据えられ、構造設計はオーヴ・アラップ(Ove Arup)が担った。新聖堂は1962年5月25日に聖別され、その式典ではベンジャミン・ブリテンの「戦争レクイエム」が初演された。
建築的特徴
新聖堂は南北を軸とし、鋸歯状に折れる側壁の窪みに天井から床まで届くステンドグラスを嵌め込んで、堂内へ色光を導く。アラップの手になる軽快な天井は細い柱に支えられ、外部には金属製のフレッシュが立つ。内部には、グレアム・サザーランドによる巨大なタペストリー、ジョン・パイパーの洗礼堂窓、ジェイコブ・エプスタインの彫刻など、当代一流の芸術家による作品が据えられ、建築と美術が一体となった空間をつくりあげている。
意義・現在
焼け跡から拾われた鉄釘を結んでつくられた「釘の十字架」は、和解のしるしとして世界各地に贈られ、同じく戦火に遭ったベルリンのカイザー・ヴィルヘルム記念教会などと結びついて、平和を願うネットワークを育てた。廃墟と新聖堂を並べ置くその姿は、破壊の記憶と再生への希望を同時に語りかける。建物はグレードI指定建造物として保護され、戦後英国建築の到達点のひとつとして高く評価されている。