イングランド南部、ソールズベリー平原に立つ先史時代の巨石記念物。前3000年ごろ…
マルタ、ゴゾ島のシャーラ高原に立つ新石器時代の巨石神殿。前3600年頃にさかのぼる南神殿と、のちに加えられた北神殿からなり、マルタの巨石神殿群の最初期を代表する、現存最古級の自立式石造建築である。
§1 — 概要ジュガンティーヤ(Ġgantija)は、地中海中央に浮かぶマルタ諸島のゴゾ島、シャーラ高原の南東の縁に築かれた新石器時代の神殿複合体である。一つの外周壁のなかに南北二つの神殿が並び、古い南神殿は前3600年頃にさかのぼる。マルタ諸島に点在する巨石神殿のなかで最も早い段階に属し、この地域の編年でいう「ジュガンティーヤ期」(前3600〜前3200年頃)の名もこの遺跡に由来する。呼び名はマルタ語で巨人を指す語(ġgant)から来ており、これほどの石を積めるのは巨人だけだと考えた島の伝承を映している。
先に建てられたのは南神殿で、北神殿はその北側の外周壁の一部を取り払い、寄り添うように加えられた。北神殿の年代は前3000年頃とされることが多いが、南神殿から大きく隔たらずに着手されたとみる研究者もおり、定まっていない。神殿群は手を加えられながら、マルタの神殿文化が途絶える前2500年頃まで使われたと考えられている。室内からは動物の骨や土器片がまとまって見つかり、供犠を伴う祭祀が行われていたことがうかがえる。
遺構の存在は古くから知られ、18世紀後半にはフランスの画家ジャン=ピエール・ウエルが、発掘以前の状態から驚くほど正確な平面図を描いている。1827年、ゴゾ副総督ジョン・オットー・ベイヤーの命で内部を埋めていた土砂が取り除かれたが、出土品はほとんど記録されないまま失われた。その直前にシャルル・ド・ブロクトルフが描いた水彩画が、堆積に覆われていた頃の姿を伝える貴重な記録となった。その後は荒廃が進んだが、1925年に古物目録へ載り、20世紀を通じて調査と保存が重ねられた。

二つの神殿はいずれも南東を向き、共通の前庭に面して入口を開く。前庭側の正面は緩く凹んだ弧を描き、南端では今も高さ6メートルを超える壁が立つ。各神殿は、入口から奥へ延びる通路の両側に半円形の室(アプス)を対にして連ね、突き当たりにもう一つの室を置く平面をもつ。南神殿は計五つのアプスを備え、北神殿では奥の室が小さな壁龕にまで縮められている。

構法の要は二種類の石灰岩の使い分けにある。外周壁と正面には、地元で採れる硬い珊瑚質石灰岩の巨石をオルソスタットとして立て並べ、幅広の面を見せる石と細長い石を交互に配した。最大の石は20トンを超えると見積もられている。壁は内外二重につくられ、そのあいだに瓦礫と土を詰めて厚みと安定を得た。一方、戸口・祭壇・装飾板など室内の部材には、柔らかく刻みやすいグロビゲリナ石灰岩を用い、これは1キロメートル以上離れた地点から丘の上へ運び上げられた。粗い外壁と平滑な内装という対比は、この材料の性質の差から生まれている。
南神殿の入口には、大きな敷居石と、窪みを彫った石塊が据えられ、入堂前の清めや献酒に使われたとする説がある。奥のアプスにはトリリトンの形に組んだ祭壇や円形の炉石が残り、壁面には漆喰と赤色顔料の痕跡もとどまっている。上部構造は失われているが、出土した神殿模型などを根拠に、壁を内側へ少しずつせり出させて屋根を架けていたとする見方がある。

ジュガンティーヤの南神殿は、エジプトのピラミッドやストーンヘンジの巨石段階よりも古い。ギョベクリ・テペのようにさらに古い記念碑や、ブルターニュの積石塚のように先行する巨石墓は知られているが、屋内の空間を壁で囲い込んだ自立式の石造建築としては、現存する世界最古級の例に数えられる。西ヨーロッパの列石や墓とは異なり、通路と室を組み合わせた明確な平面をもつ点に、マルタの神殿建築の独自性がある。
1980年に単独で世界遺産に登録され、1992年にマルタ島のハジャー・イム、イムナイドラ、タルシーンなどが加わって「マルタの巨石神殿群」となった。現在はヘリテージ・マルタが管理し、床面を守るための軽量な見学通路が2011年に設けられ、2013年には展示施設を備えた遺跡公園が開かれた。近くのシャーラ・ストーン・サークルでは同時代の地下墓地が見つかっており、神殿と葬送の場が一体となった景観として研究が続いている。