インド西部、ワーグラー川の渓谷の岩壁を穿った30ほどの仏教石窟。前2世紀と5世紀…
釈迦が悟りを開いた地に建つ仏教最大の聖地。前3世紀のアショーカ王の造営に始まり、現存する高さ約55メートルの煉瓦造大塔は5〜6世紀にさかのぼる。
§1 — 概要インド東部ビハール州ブッダガヤ、ファルグ川の西岸に建つ仏教寺院である。釈迦がこの地の菩提樹の下で悟りを開いたと伝えられ、仏教の四大聖地のうち最も重要な場所とされる。境内には高さ約55メートルの煉瓦造の大塔、その西に立つ菩提樹、樹下の砂岩製の金剛宝座、数多くの奉献ストゥーパが集まる。東インドに残る最古級の煉瓦建築でもある。
前3世紀半ば、マウリヤ朝のアショーカ王がこの地に精舎を建て、菩提樹の根元に金剛宝座を据えたのが始まりとされる。当時の建物は失われたが、金剛宝座は現存する。前2世紀のシュンガ期には砂岩の欄楯が巡らされ、その一部は現在も残る。
現存する主塔の形は、5〜6世紀のグプタ朝期にさかのぼる。ただし2世紀のクムラハール出土の銘板に、現在とほぼ同形の截頭ピラミッド形の塔が描かれていることから、より古い建物の改修である可能性も指摘されている。
11世紀以降はチベット・中国・スリランカ・ビルマから修理と寄進が寄せられ、境内には各国の碑文が残る。しかし12世紀末、パーラ朝の崩壊と北インドの政変を経て仏教が衰えると、寺は荒廃した。1234年にこの地を訪れたチベット僧ダルマスヴァーミンは、堂内の仏像を守るため僧が入口を塞いでいたと記録している。
1880年代、英領インド政府がアレクサンダー・カニンガムとJ・D・ベグラーの指揮のもとで大規模な修復を行い、現在の姿がほぼ整った。この修復では原部材の多くが取り替えられ、古い欄楯や彫刻は博物館へ移されて複製に置き換わっている。1949年以降はヒンドゥー教徒と仏教徒からなる委員会が寺を管理しているが、管理権をめぐる議論は続いている。
主塔は方形の基壇の上に、頂部へ向かって直線的に細る截頭ピラミッド形のシカラをのせ、その上に半球形の小塔と相輪を頂く。四隅には同形の小塔が立ち、全体で五塔の構成をとる。壁面は水平の層に分けられ、各層に仏龕を並べる。
この形式は、ガンダーラで発達した階段状ストゥーパ――仏龕とギリシア・ローマ風の柱を交互に重ね、頂部にストゥーパを載せる形――から発展したものと考えられている。遺骨を祀る無像のストゥーパから、仏像を安置する堂塔へ。大菩提寺の塔形は、仏教建築の重心が移った瞬間を立体で示している。
構造は焼成煉瓦を漆喰で覆ったもので、石造に比べれば風化に弱い。それでも1500年近く形をとどめたこと自体が、この建物の技術的な達成である。塔の直立性と、頂部近くにアーマラカ状の要素を置く構成は、のちのヒンドゥー教寺院のシカラに引き継がれ、さらに東アジアの塔にも影響を及ぼした。
境内西側の菩提樹は、悟りの木の直系とされる株である。その根元の金剛宝座は前3世紀にさかのぼる遺構で、仏の姿を描かない初期仏教美術において、空の座そのものが成道を示す図像として用いられた記憶を今に伝える。
大菩提寺は、聖地という出来事の記憶を建築として可視化した最初期の例である。またその塔形は、インド亜大陸の宗教建築が仏教・ヒンドゥー教・ジャイナ教の境を越えて共有した語彙の出発点でもあった。2002年、世界遺産に登録されている。
現在も各国からの巡礼が絶えず、周囲にはタイ、ブータン、日本など各国の僧院が建ち並ぶ。ただし目にする細部の多くは19世紀の修復で新しくされたものであり、古い部材は近隣の博物館に移されている。この建物を見るときは、そのことを念頭に置いておきたい。