インド西部、ワーグラー川の渓谷の岩壁を穿った30ほどの仏教石窟。前2世紀と5世紀…
仏教建築とは、仏教の礼拝・修行・遺骨崇拝のために営まれた建築の総体を指す。単一の造形言語をもつ「様式」ではなく、前3世紀のインドに始まり、東南アジア・中央アジア・中国・朝鮮・日本へと二千年以上をかけて伝播するなかで、各地の素材と伝統に接ぎ木されながら変形を重ねた系統群である。したがって、煉瓦積みの塚、岩山を穿った石窟、木造軸組の伽藍という互いに似ない諸形式が、同じ名で括られることになる。
原型は、釈迦の遺骨を納めた半球状の墳丘、すなわちストゥーパである。アショーカ王の時代に各地へ分置されたこの塚は、礼拝の対象であると同時に、周囲を右回りに巡るという行為の中心装置であった。仏教建築の平面がしばしば内部空間ではなく「巡る」動線から発想されるのは、この起点による。会衆を内部に収めることから出発した西欧の教会堂とは、前提が異なる。
インドでは前2世紀以降、この構成が岩山を穿つ岩窟建築へ翻訳された。礼拝堂であるチャイティヤは、奥を半円形に閉じた細長い平面の突き当たりにストゥーパを据え、列柱で側廊を分けて塚を巡る道を確保する。これに僧房を穿ったヴィハーラが対をなし、両者で一つの寺院を構成した。石窟の内部には木造建築の垂木や梁を忠実に石へ写した意匠が残っており、石が木を模倣することから始まった経緯を伝える。現存しない古代インドの木造建築の姿は、この転写を通じて推測されている。サンチーの大塔が塚の完成形を、アジャンター石窟群が石窟寺院の到達点を示す。
東南アジアでは、ボロブドゥールのように塚と壇を重ねて宇宙の模型そのものを築く方向へ展開した。東アジアへ伝わると、ストゥーパは楼閣状の塔へ姿を変え、礼拝の中心は塔から本尊を祀る金堂へ移る。伽藍配置の変遷は、この重心移動の記録として読める。素材も木造軸組が主流となり、組物で深い軒を持ち出す独自の体系が育った。法隆寺はその初期の到達点である。
これらに共通するのは形ではなく、宇宙観を可視化しようとする志向である。須弥山や曼荼羅の観念が、地域と時代を越えて平面と立面の構成原理として反復される。