EST. 2026 — Editorial Archive of Notable Architecture
ドゥカーレ宮殿(ウルビーノ)
© Stefano Sansavini(Wikimedia Commons) / CC BY-SA 4.0
FIG. 01 — Q1267721
様式 · ルネサンス建築 時代 · ルネサンス 類型 · 宮殿・邸宅 ★ 世界遺産「ウルビーノ歴史地区」(1998年)

ドゥカーレ宮殿(ウルビーノ) Palazzo Ducale

Palazzo Ducale

イタリア中部ウルビーノに建つルネサンスの宮殿。傭兵隊長フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロが1454年頃から築き、ラウラーナとフランチェスコ・ディ・ジョルジョが手がけた。要塞を品位ある住居に変えた初期ルネサンスの傑作で、世界遺産に登録される。

FIG. 02 — Location43.7242° N 12.6360° E
イタリア マルケ州 ウルビーノ
§1 — 概要

概要

ドゥカーレ宮殿(Palazzo Ducale)は、イタリア中部マルケ州の丘上都市ウルビーノに建つルネサンスの宮殿である。傭兵隊長にして人文主義の庇護者フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロが、自らの権勢と教養を映す住居として築かせた。中世の城砦を取り込みながら、比例の調和に貫かれた中庭や繊細なファサードを備えた開かれた住居へと姿を変えた点で、初期ルネサンス建築の到達点に数えられる。現在はマルケ国立美術館(ガッレリーア・ナツィオナーレ・デッレ・マルケ)を収め、ピエロ・デッラ・フランチェスカやラファエロの名品を蔵する。1998年に「ウルビーノ歴史地区」として世界遺産に登録された。

歴史

建設は15世紀半ば、フィレンツェのマーゾ・ディ・バルトロメオの手で1454年頃に始まり、先行する「イオレの館」などを取り込んで進められた。1466年、ダルマチア出身のルチアーノ・ラウラーナが招かれて主任建築家となり、宮殿の最も革新的な部分——名誉の中庭、大階段、フェデリーコの私室群——を構想する。ラウラーナが1472年にナポリへ去ったのち、1476年からはシエナのフランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニが引き継ぎ、中庭とファサードを完成させ、厩や貯水槽を収めた地下の実用空間を整えた。フェデリーコが1482年に没すると工事は緩み、宮殿は未完の部分を残したまま今日に至る。ウルビーノ生まれのブラマンテが後年関与した可能性も指摘される。

建築的特徴

最大の見どころは、ラウラーナの設計になる名誉の中庭(コルティーレ・ドノーレ)である。一階は組み合わせ柱式の列柱が囲む開廊をなし、上のピアノ・ノービレには柱に対応するピラスターが並んで、明晰な比例の調和を生む。隅部はL字形の角柱で処理され、アーチの連続が破綻なく回る。西側に向いては、二本の細い円塔に挟まれたファサード(トッリチーニのファサード)が丘の斜面にそびえ、要塞の記憶と宮廷の優美を併せもつ。内部にはフェデリーコの小書斎ストゥディオロがあり、書物や楽器、科学器具を錯視的に描いた木象嵌(インタルシア)の壁面は、ルネサンスの寄木細工の最高峰とされる。

意義・現在

ドゥカーレ宮殿は、戦さの要塞でも閉ざされた城でもなく、人文主義の理想を空間に翻訳した「都市のかたちをした宮殿」と評される。フェデリーコの宮廷には画家・学者・建築家が集い、ウルビーノを小都市ながらルネサンス文化の一中心へと押し上げた。その明晰な空間構成は盛期ルネサンスを先取りするものであり、ブラマンテやラファエロら次代の巨匠を育む土壌ともなった。今日では世界遺産の中核としてマルケ国立美術館を収め、宮殿そのものが最大の展示品として訪れる者を迎えている。

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※ イタリアにはパノラマの自由がなく、文化財コード(Codice dei beni culturali)により文化財の画像の商用利用には所管機関の許諾が要る場合がある。建築物自体は著作権の保護期間を過ぎている。
LAST EDIT — 2026.06.25
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