フィレンツェのアルノ川左岸に建つ巨大なルネサンス宮殿。メディチ家の主邸として拡張され、現在は複数の美術館を擁する複合文化施設となっている。
§1 — 概要概要
ピッティ宮殿は、イタリア・フィレンツェのアルノ川左岸(オルトラルノ地区)に建つ壮大なルネサンス様式の宮殿である。15世紀半ばに銀行家ルカ・ピッティの邸宅として着工され、16世紀以降はトスカーナを治めたメディキ家の主邸となって、歴代の君主のもとで大きく拡張された。粗く刻んだ石を積み上げた重厚な正面で知られ、背後にはボーボリ庭園が広がる。今日ではパラティーナ美術館をはじめとする複数の美術館・博物館を収め、フィレンツェ有数の文化施設となっている。
歴史
建設はおよそ1458年に始まったとされる。長らくフィリッポ・ブルネレスキの設計と伝えられてきたが、ブルネレスキは着工の十数年前の1446年に没しており、この伝承は今日では退けられている。実際の建設はその弟子ルカ・ファンチェッリが担ったとみる説が有力である。1549年にメディチ家がこの邸宅を取得して主邸とし、バルトロメオ・アンマナーティが1560年代に大規模な増築を行った。その後も拡張は続き、最終的にはポッチアンティらによる左右の翼の整備をもって1839年に現在の規模に達した。1919年にはイタリア国家に寄贈され、公共の文化施設として開かれた。
建築的特徴
正面を覆うのは、荒々しく削り出した石材を積み上げた強いルスティカ仕上げであり、堅牢さと権威を視覚的に主張する。内部の各階は格式に応じて構成され、君主の公式の居室が置かれた主要階はピアノ・ノービレとして荘重にしつらえられている。中庭はアンマナーティの手になるもので、三層の柱列に粗石仕上げを重ねた力強い造形は、初期ルネサンスの端正な様式にマニエリスム的な緊張と劇性を持ち込んだ作例として名高い。背後に展開するボーボリ庭園は、イタリア式庭園の規範的な事例として後世に大きな影響を与えた。
意義・現在
ピッティ宮殿は、ルネサンスからマニエリスムへと移りゆくフィレンツェ建築の展開を一棟のうちに体現する記念碑的建造物である。1982年に登録された世界遺産「フィレンツェ歴史地区」の構成資産の一つに数えられ、メディチ家の美術収集を礎とする豊かなコレクションを擁する。宮殿と庭園が一体となった景観は、今日も多くの来訪者を迎え、フィレンツェの文化的中心の一翼を担いつづけている。
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