エル・エスコリアル修道院 Royal Monastery of San Lorenzo de El Escorial
マドリード北西の山麓に築かれた、スペイン王フェリペ2世の修道院兼王宮。フアン・バウティスタ・デ・トレードが起工しファン・デ・エレーラが完成させた、装飾を削ぎ落とした灰色花崗岩の巨大な格子状複合体である。
§1 — 概要概要
エル・エスコリアル(正式名称サン・ロレンソ・デ・エル・エスコリアル王立修道院)は、マドリードの北西約45キロメートル、グアダラーマ山脈の南麓に築かれた巨大な複合施設である。修道院、バシリカ、王宮、王家の霊廟、図書館、神学校を一つの矩形の内に収めており、スペイン・ルネサンス建築の到達点であると同時に、フェリペ2世の統治理念そのものの造形化でもある。外周は約224メートル×153メートル。壁は地元で切り出された灰色の花崗岩で、装飾はほとんど施されていない。
歴史
1557年、サン=カンタンの戦いにおける対フランス戦の勝利を記念し、あわせて父カルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)以下の王家の墓所を設けるため、フェリペ2世が建設を命じた。定礎は1563年4月23日である。
設計を託されたのは、ローマでサン・ピエトロ大聖堂の造営に携わり、1559年に王室建築家に任じられたフアン・バウティスタ・デ・トレードであった。トレードが1567年に没すると、その下で働いていたファン・デ・エレーラが指揮を継ぐ。エレーラは正面の内側にあった六つの塔を削るなど計画を整理・拡張し、1584年に竣工にこぎつけた。着工から21年に満たない。スペイン語で「エル・エスコリアルの工事」といえば、いつまでも終わらない仕事の代名詞として今も使われる。イタリアから招かれた画家にして建築家のジョヴァンニ・バッティスタ・カステッロ(イル・ベルガマスコ)は、主階段を手がけたと伝えられる。
以後ここは歴代スペイン王の埋葬地となった。国王霊廟にはカルロス1世からアルフォンソ13世まで、ハプスブルク家とブルボン家の君主とその配偶者が眠る。
建築的特徴
平面は、縦横に交差する通路と中庭が矩形を分割する格子状をなす。これを、火焙りで殉教した聖ラウレンティウス(サン・ロレンソ)の鉄格子に由来するとする伝承がある。一方、フラウィウス・ヨセフスが伝えるソロモン神殿の記述——前室と中庭を二度重ねて至聖所へ至る構成——を下敷きにしたとする説も有力で、聖堂入口の左右にダヴィデとソロモンの像が据えられていることがこれを補強する。
意匠の眼目は、古典オーダーを大面積に用いず、平滑な花崗岩の面と規則正しい窓の反復だけで全体を統御した点にある。四隅には尖塔を戴く方塔が立ち、中央では聖堂のドームと鐘塔が群を抜いて高い。フェリペ2世がトレードに与えた指示は「構造における簡素、全体における厳格、傲慢を伴わない気品、誇示を伴わない威厳」と伝えられる。エレーラが確立したこの禁欲的な語法は「エレラ様式」と呼ばれ、以後1世紀以上にわたりスペイン帝国の建築を規定することになる。
外観の厳しさに対し、内部は一転して豪奢である。聖堂と諸室の天井はフレスコで覆われ、ティツィアーノ、ティントレット、エル・グレコ、ロヒール・ファン・デル・ウェイデン、ベラスケスらの作品が収まる。円筒ヴォールトを架けた図書館には、学芸を主題とする天井画の下に、エレーラの設計による書架が並び、数千点の写本が保管されている。
意義・現在
エル・エスコリアルは、ルネサンスの比例体系を受け継ぎながら、装飾を捨てることでもう一つの記念性を獲得した稀有な作例である。対抗宗教改革期のスペインが自らを「キリスト教世界の中心」と規定した宣言でもあり、その厳格さは、続く時代のバロックの華麗と鋭い対照をなす。
1984年、ユネスコ世界遺産「マドリードのエル・エスコリアル修道院と遺跡」として登録された。現在も王室財産庁(Patrimonio Nacional)が管理し、アウグスティノ会の修道院と寄宿学校としての機能を保ちながら一般に公開されている。内部の撮影は禁じられている。