聖カタリナ修道院 Saint Catherine Monastery
シナイ山の北麓に立つ、現在も機能する世界最古のキリスト教修道院。6世紀半ば、東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世の命により聖堂と城塞が一体で築かれ、「燃える柴」の伝承地を花崗岩の城壁の内に囲い込む。
§1 — 概要概要
聖カタリナ修道院(正式にはシナイの聖にして神の歩みたもうた山の聖カタリナ自治王立修道院)は、エジプト・シナイ半島南部、シナイ山(現地名ジェベル・ムーサー)の北麓の谷あいに立つ正教会の修道院である。6世紀半ばの創建以来、修道生活が途切れることなく営まれてきた点で、世界最古の現役キリスト教修道院とされる。モーセが神の言葉を聞いたと伝えられる「燃える柴」の場所を、方形の城壁がそのまま囲い込んでいる。
歴史
シナイにおける修道生活の最古の記録は、4世紀末の巡礼者エゲリアの旅行記にさかのぼる。4世紀にはコンスタンティヌス1世の母ヘレナの命で「燃える柴」の礼拝堂が設けられたと伝えられ、6世紀、東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世が、この地に散在していた隠修士を守るために聖堂と城塞を一体で建設させた。聖堂の梁に残る献辞銘文は皇后テオドラの死(548年)以後の年代を示し、修道院の伝承は557年を竣工年とする。工事を指揮したのは、同じ梁に名を刻まれた輔祭にして建築家、アイラ(現在のヨルダン・アカバ)のステファノスである。
7世紀以降にイスラーム勢力が伸張しても、修道院は存続した。院内にファーティマ朝期に礼拝堂を転用したモスクが設けられたこと、ムハンマドが修道院に保護を与えたとする文書「アシュティナーメ」が伝えられたことが、その一因とされる。十字軍の時代には西欧からの巡礼が増え、中世を通じてアラブ、ギリシア、シリア、スラヴ、グルジア出身の修道士が共住した。マムルーク朝末期には衰微し、1505年には略奪も受けている。
1844年と1859年、コンスタンティン・フォン・ティッシェンドルフがこの図書館で4世紀の聖書写本「シナイ写本(コデックス・シナイティクス)」を見出した。写本はロシアを経て、現在は大英図書館にある。
建築的特徴
城壁はシナイ産の花崗岩を切石に加工して積んだもので、一辺およそ75メートルのやや歪んだ方形をなす。20世紀まで出入りは壁面の高所に開いた小さな扉に限られ、人も物も巻き上げ機で吊り上げられた。北面は繰り返し損傷を受け、最後の大規模な補修は1801年、ナポレオンのエジプト遠征の際に行われている。
中心に立つ主聖堂(カトリコン、変容聖堂)は三廊バシリカ式で、身廊を花崗岩の円柱列が仕切り、西側にナルテクスが付く。特筆すべきは屋根である。創建時の木造小屋組がほぼ完全な姿で残り、現存最古のキングポスト・トラスとして知られる。材はアナトリア方面から運ばれた黒松と分析されており、扉とともに植物文や動物文の彫刻で飾られている。
後陣には565年頃と推定される「主の変容」のモザイクが輝き、その周囲を使徒と預言者のメダイヨンが巡る。ユスティニアヌス期のモザイクが原位置に残る例は、東地中海でも稀である。後陣の背後には「燃える柴の礼拝堂」が接続する。城壁の内側には、これらを取り巻いて僧房、食堂、製油所、納骨堂などが密集し、増改築の積み重ねによって不規則な路地の連なりが生まれている。
意義・現在
聖像破壊運動(イコノクラスム)の圏外にあり、一度も陥落しなかったため、この修道院には5〜6世紀の蝋画によるイコン群が失われずに伝わった。パントクラトール(全能者ハリストス)像をはじめとする初期イコンの、世界で最良の収集である。写本の収蔵はヴァチカン図書館に次ぐ規模で、図書館そのものも現役の図書館として世界最古とされ、2017年に改修を終えて再開した。
2002年、ユネスコ世界遺産「聖カタリナ修道院地域」として登録されている。2025年5月、エジプトの控訴院が修道院とその周辺の土地の帰属について判決を下し、修道院の法的地位をめぐって国際的な関心を集めた。判決は修道院の用益権を認めつつ土地を公有地と位置づけるもので、係争は継続している。