聖ソフィア大聖堂(キーウ) Saint Sophia Cathedral
キーウ中心部に建つキーウ・ルーシ最大の聖堂。11世紀のモザイクとフレスコを内部にほぼそのまま伝え、外観は17世紀から18世紀にかけてウクライナ・バロックへ改められた。
§1 — 概要概要
聖ソフィア大聖堂は、ウクライナの首都キーウ中心部に建つ聖堂である。キーウ・ルーシの最盛期に府主教座聖堂として建てられ、11世紀のヨーロッパでは最大級の教会建築のひとつであった。内部には創建期のモザイクとフレスコがまとまって残り、外観は17世紀から18世紀にかけてウクライナ・バロックに改装されている。1990年、キーウ・ペチェールシク大修道院とともにウクライナ初の世界遺産となった。
歴史
創建年について史料は一致しない。『原初年代記』は1037年にヤロスラウ賢公が聖ソフィア聖堂を建てたと記し、『ノヴゴロド第一年代記』は1017年とする。近年はナディヤ・ニキテンコが壁面の落書きと図像の年代から、ウォロディーミル大公の治下1011年の創建・1018年の成聖を提唱し、ユネスコとウクライナ政府はこの説を採って2011年に創建千年祭を挙行した。聖堂はヤロスラウの墓所であり、府主教座、大公の即位・婚礼・葬送の場、外国使節の応接の場を兼ねた。ルーシ最初の図書館もここに置かれている。1169年のアンドレイ・ボゴリュブスキーによる略奪と1240年のモンゴル軍の攻囲で大きく傷み、以後長く荒廃した。1633年に府主教ペトロ・モヒラが管轄を回復して修復に着手し、イタリア人建築家オクタヴィアーノ・マンチーニが工事を指導する。1690年代から1700年代にかけては、ヘーチマンのイヴァン・マゼーパの出資により回廊がかさ上げされ、ドームが増設されて外観のバロック化が決定的となった。1934年にソビエト政権下で博物館「ソフィア保護区」とされたことが、結果として反宗教運動下の取り壊しを免れさせた。
建築的特徴
創建時の聖堂は五廊式で、東端に五つのアプスを開く内接十字式の平面をとる。ギャラリーを除く中核部は一辺約30メートルの正方形で、中央の大ドームを12の小ドームが囲み、階段状のピラミッドをなす。この13ドームの構成はキリストと十二使徒を表すものと解されてきた。大理石の柱ではなく煉瓦の十字形ピアを、大理石板ではなくオヴルチ産の淡紅色の葉蝋石を用いるなど、材料は地元産へ置き換えられている。壁体は自然石と平たい煉瓦を交互に積み、桃色の石灰モルタルで目地を厚くとる。内部装飾はモザイクが約260平方メートル、フレスコが約3千平方メートルに及ぶ。中央アプスを占める高さ6メートルの「オランス(祈る聖母)」、中央ドーム頂部のパントクラトール、使徒の聖体拝領が代表作で、色数の豊かなスマルトは当時のガラス工の技量を示す。バロック改装では、これらの内部を漆喰で覆ったうえで外部に玉ねぎ型ドームと曲線的な破風を加えており、モザイクが再発見されるのは1884年のことである。
意義・現在
この聖堂は、ビザンティンの構法をルーシの材料と規模へ翻案した最初期の到達点であり、ノヴゴロドやポラツクの聖ソフィア聖堂をはじめ、以後の東スラヴ圏の聖堂建築の原型となった。同時に、外観がバロックで内部がビザンティンという二層構造そのものが、この地域の文化的な重層性を目に見える形にしている。現在は特定の教派の管理下に置かれず国立保護区の博物館として運営されるが、2023年9月、戦争による危機を理由に世界遺産委員会が危機遺産リストへの登録を決定した。2025年6月10日の攻撃では東側ファサードの損傷が確認されている。