シュライスハイム宮殿 Schleißheim palace complex
ミュンヘン近郊オーバーシュライスハイムに広がる、ヴィッテルスバッハ家の夏の離宮群。1617年起工の旧宮殿に、ツッカリのルストハイム宮殿と、彼が1701年に着工しエフナーが1726年に整えた壮大な新宮殿が加わる、ドイツ・バロックの代表作。
§1 — 概要概要
シュライスハイム宮殿(Schloss Schleißheim)は、ドイツ・バイエルン州、ミュンヘン近郊のオーバーシュライスハイムに広がる宮殿群である。旧宮殿(アルテス・シュロス)、ルストハイム宮殿、新宮殿(ノイエス・シュロス)という三つの宮殿と、ヨーロッパでも有数の保存されたバロック庭園からなり、バイエルン選帝侯ヴィッテルスバッハ家の夏の離宮として営まれた。三つの宮殿は庭園の中心軸に沿って一直線に配され、ドイツ・バロックの宮廷建築と造園を今に伝える。
歴史
起源は16世紀末、ヴィルヘルム5世がダッハウ城の近くに設けた小さな田園邸宅にさかのぼる。その子マクシミリアン1世のもとで、1617年から1623年にかけて、宮廷建築家ハインリヒ・シェーン(父)が旧宮殿を建てた。北イタリア・ヴェネト地方の別荘を思わせる端正な後期ルネサンス様式の建物である。
宮殿群が壮麗な姿を得るのは、選帝侯マクシミリアン2世エマヌエルの時代である。まず1684年から1688年にかけて、宮廷建築家エンリコ・ツッカリが、選帝侯とオーストリア皇女マリア・アントニアの婚礼を機にルストハイム宮殿を建てた。円形の島に建つイタリア風の庭園別荘で、アルプス以北で初めて大規模な天井フレスコで飾られた世俗建築として知られる。
皇帝位をうかがう選帝侯は、さらに壮大な居館を望み、ツッカリの設計で1701年に新宮殿の礎石が据えられた。当初は旧宮殿を組み込む四翼の構想であったが、スペイン継承戦争による選帝侯の亡命で工事は中断する。1715年の帰国後、後任の宮廷建築家ヨーゼフ・エフナーが1719年から造営と内装を引き継ぎ、フランス仕込みの意匠で建物を整えた。選帝侯が没した1726年までに、主翼のみが完成をみた。第二次世界大戦で旧宮殿などが大きく損なわれたが、戦後に再建されている。
建築的特徴
宮殿群の中心は、全長300メートルを超える壮大な新宮殿である。庭園側に37の窓間を連ねる長大な主棟(コール・ド・ロジ)をもち、中央の11軸分にツッカリ考案の大階段、大広間、大ギャラリーが収まる。ヤコポ・アミゴーニやコスマス・ダミアン・アザムによる天井フレスコ、ヨハン・バプティスト・ツィンマーマンの漆喰装飾で飾られた一連の儀礼空間は、バロックの宮殿装飾の白眉とされる。庭園は、運河とボスケ(植込み)の骨格をツッカリが定め、ル・ノートルの弟子ドミニク・ジラールが大花壇(パルテール)とカスケードを整えた、フランス式バロック庭園の好例である。三宮殿と庭園が厳密な軸線で結ばれる構成は、絶対主義時代の宮廷文化を空間として可視化している。
意義・現在
シュライスハイム宮殿群は、後期ルネサンスの旧宮殿から、イタリア・バロックのルストハイム、フランスの洗練を加えた新宮殿へと、一世紀あまりにわたる様式の変遷を一つの敷地のうちに重ねた、稀有な離宮である。完成をみなかった四翼の壮大な構想は、皇帝位を夢みた「青い選帝侯」マクシミリアン2世エマヌエルの野心の名残でもある。現在は三宮殿とも一般に公開され、新宮殿にはバイエルン国立絵画館の所蔵するヨーロッパ・バロック絵画が展示されている。