河南省登封、嵩山少室山の北麓に建つ禅宗の祖庭。495年の創建以来、破壊と再建を繰り返しながら、常住院・塔林・初祖庵の三区画に唐から清までの遺構を層状にとどめている。
§1 — 概要概要
嵩山少林寺は、中国河南省登封市、嵩山山系の少室山北麓に建つ仏教寺院である。中国禅宗の祖庭とされ、少林武術の中心地としても広く知られる。現在の伽藍は、南北の中軸線に堂宇を連ねる常住院、歴代高僧の墓塔が林立する塔林、そして北宋の遺構をとどめる初祖庵の三区画からなり、この三者が2010年に世界遺産「『天地の中央』にある登封の史跡群」の構成資産として登録された。建築史の側から見た価値は、度重なる焼失を経てなお宋から清までの実物が同じ敷地に重なって残る点にある。
歴史
創建は北魏の孝文帝の時代、495年とされる。インドから渡来した僧・跋陀(ばつだ)の住坊として少室山の北に建てられたのが起源である。527年に菩提達磨が来住したと後世の灯史は伝え、面壁九年の伝承とともに禅宗初祖の寺という位置づけが定着した。北周の廃仏で荒廃したのち、隋の文帝が寺名を復して広大な寺領を施与し、唐初には僧兵が李世民を助けた功により厚遇を受けて隆盛する。元代には曹洞宗の福裕が住持となって鐘楼・鼓楼を建て、以後この寺は華北曹洞禅の拠点となった。明の万暦16年(1588年)に千仏殿が建てられ、清の雍正13年(1735年)には勅命により山門が建て替えられている。近代に入ると1928年、軍閥抗争のさなかに石友三の軍が放火し、法堂・天王殿・大雄宝殿・鐘楼・鼓楼など主要堂宇と経巻五千余巻が失われた。文化大革命でもさらに損傷を受けたため、中軸線の堂宇の多くは1980年代以降の復元である。
建築的特徴
常住院の中軸線は、南から山門・天王殿・大雄宝殿・法堂(蔵経閣)・方丈院・立雪亭・千仏殿の七進で構成され、傾斜地に沿って院が段々に高くなる。堂宇はいずれも斗栱で軒を支える木造軸組の官式建築である。なかでも千仏殿は火災を免れた明代の遺構で、間口七間の硬山造。北壁と東西壁に高さ7.5メートル、長さ42メートルに及ぶ壁画「五百羅漢朝毘盧」を描き、床面には武僧の練功で穿たれたと伝わる48の窪みが残る。塔林には唐の貞元7年(791年)から清の嘉慶8年(1803年)までの磚石造墓塔243基が約1万4千平方メートルに並ぶ。高さはいずれも15メートル未満、層数は奇数を原則とし、方形・六角形・円柱形・瓶形と形式は多様で、中国の磚石建築と彫刻の変遷を一望できる。西北の初祖庵大殿は北宋の宣和7年(1125年)の建立で、河南省最古の木造建築とされる。檐柱と内柱に施された浮彫とともに、同時代の建築書『営造法式』を実物で検証しうる資料として重視されている。
意義・現在
少林寺の建築的な価値は、単一の名作にあるのではなく、唐から清に至る墓塔群、北宋の木造殿堂、明代の壁画殿、そして20世紀末以降の復元建築が同じ境内に共存する層の厚さにある。日本との縁も深く、元代には日本僧・邵元がこの寺に滞在して塔銘を撰しており、その実物が塔林に残る。1980年代の映画を機に国際的な観光地となって以降は、遺構の保存と観光需要の調停が課題となっており、2010年の世界遺産登録は、その保存体制を国際的な枠組みへ接続する試みでもあった。